教銘舎の太田です。こんにちは。 |
妙な違和感を覚えることがある。
それは、
保護者は最初から駄目だと思っているのに、
私には出来るだけのことをしてほしいと懇願される時。
※駄目だと思っているのなら、
道を変えるなり、目標を変えるなりすればいい。
それでも一縷の望みをかけて当塾にいらっしゃったのなら、
せめて自分の子どもを信じてほしい。
親が駄目だと思っているのは子どもにも伝わる。
私は絶対に合格させるつもりで、生徒を良い方向に変えるつもりで
指導をしている。全力で取り組むのが当たり前。
それ以上を望まれるのなら出来ないこともないが、
保護者や生徒にも相応の覚悟が必要になるだろう。
親に対してタメ口を聞いている生徒を塾で見たとき。
※家の中ではどうか知らない、
それが家庭の方針なら言うことはないが
そういった関係を外でも続けるのは如何なものだろうか。
私は年長者を敬うものだと思っているし、
山本や他のアルバイトと社内で
どれだけ仲良くしゃべっていたとしても、
外でも同じ調子でこられたら、一喝するだろう。場を弁えなさいと。
年長者が愚かしい行動をしている時。
※ゴミのポイ捨て、歩きタバコ、
割り込み、ガムを噛みながら歩く、
公共の場所で大きなで話す、等々言い出したらキリがない。
そういった人をみていると、
『貴方たちの先祖は、こんな日本を守るために死んでいったのか?』と問い質したい気持ちになる。
自国の文化や美しさも知らずに海外に行き、覚えたての外国語で拙く喋る人たち。
帰国してから聞く話では、何処何処に行った、
あれを食べた、何々を観て、超凄かった!!
太:『そうかすごいな、それで(何を感じたのだ)?』
こう返すと二の句が継げない者ばかり。
どれだけ言葉が話せても、
そこに教養がないのなら『オウム』と一緒だ。
『ごめんなさい』が言えない大人たち。
※私は悪いと思ったら謝るようにしている。
相手が大人であっても、小学生であってもだ。
実は謝る、謝らないというのは大きな問題ではないのだが、
お店や取引先とのやりとりで、明らかに相手側に過失がある場合
でも、盥回しにされて、結局誰に責任の所在があるのかを有耶無耶にされることが増えた。
こういったことが原因で、問題解決に時間がかかるのは非常に迷惑だ。
今日は好き勝手書いてしまいました、
読んで下さっている方の気分を害したのであれば心より謝罪申し上げます。
(ね、ちゃんと謝ることができたでしょ)
それではこの辺で。
実は前回のクリスマス会で、5ゲームも投げた生徒がおり…
予算から足が出ましたので、皆さんで均等割りにして頂きたい。。。。
………
という風に遣われるこの言葉。
………
勉強中の生徒をみれば、大体のレベルが分かる。
それは姿勢に現れるからだ。
勉強が出来る生徒というのは、それなりの学習時間をとっている。
姿勢が悪いと、長時間の勉強に耐えられない。
だから自ずと良い姿勢になる。
入塾したての生徒や、勉強の型が身についていない生徒は、
先ず『足を出す』
投げ出された足をみて、神経を張っていないと感じる。
次に上体が崩れてくる。
妙に問題に近かったり、遠かったり、落ち着かない。
次に行動に現れる。
貧乏ゆすりをしてみたり、
ボールペンの芯をカチャカチャ出し入れする。
(そういった他者に悪影響を及ぼすことについてはその都度注意している)
それを制限すると、目だけで遊ぶようになる。
そこに何かいるの??って位、
何もないところを凝視してみたり、
視線はフラフラ、頭はポカポカ(失礼)
足を出す位までなら、そこまで注意はしない。
上体が崩れるまで何時間保つかで
その生徒の勉強体力、集中時間が分かる。
長時間の勉強は辛い、辛い辛い、
辛いことだからこそ力になる、体力がつく、精神力が鍛えられる。
中学生までにそういった力を身に付けた生徒と、日和見で遊んで暮らした生徒。
大人になった時、
どちらが魅力的になって、
どちらが自己実現に近く、
どちらが人生を楽しめるか、
どちらが時間もお金も行動も自由になるか、
先人たちをみていれば明白だろう。
勉強程公平で、自分に還ってくる投資はない。
こんな美味しいレースに乗らないのは馬鹿のすることだろう。
あ、来年は午年。
蹴られて死なないように今日も頑張ろう。
それではこの辺で。
入塾したての生徒が、宿題をしてこなかった時の言い訳で多いものは。。。
『時間がありませんでした。』
※中学生で時間が無いというのなら、
高校生の課題や予習復習は絶望的。
『まだ中学生だから、高校生の話を…』と言われるのなら、
中学生には中学生に適した量の宿題が、
高校生には高校生に適した量の、
社会人には…とお返ししよう。
殆どの場合が、
『(遊びに時間をとられて)時間がありませんでした。』だと考えている。
『分かりませんでした。』
※そうか、そうか。と塾で学習させると殆ど出来る…
分からないのなら考える。考えて分からないのなら、調べる。
調べても分からないのなら、
何が分からないかを明確にして塾で質問する。
本当に分からなくて解けない問題なら、1ヶ月先でも覚えている。
その位悩み、考えてから初めて遣える言葉だ。
『カリキュラム表を失くしました。』
※様々な言い訳を潰していくと、このような手に出る生徒もいる。
あまり繰返すようならカリキュラム表をコピー、携帯で写真を撮り、
失くしたら直ぐに連絡してもらい、ファックスやメールで送ると伝える。
(そのようにすると、カリキュラム表を失くす生徒が激減する)
………
宿題をしてこない生徒の言い訳は多種多様。
でも言い訳をしている顔は濁っている。
そのような顔をさせるために宿題を出している訳ではない。
そもそも本当は誰に言い訳しているのだろう?
私に対してなのか?
別に宿題をしてこなくても私は困らないケド…
彼等が言い訳をしているのは、自分自身に対してだろう。
弱い自分に理由をつけて、
『致し方無かったのだ、最善は尽くした。』と。。
そういったことを繰返してきたから、今の成績なのだ。
そのようなことを容認してきたから、親が甘いというのだ。
そのようなことを見て見ぬ振りをするから、世間は冷たいというのだ。
私は認めない。
宿題をしないことで、約束を守れない人になる。(可能性がある)
宿題をしないことで、期限を守れない人になる。(可能性がある)
宿題をしないことで、自分に言い訳をする人になる。(可能性がある)
宿題をしないことで、子どもは弱くなる。
言い訳をする位なら、
潔く本当のことを言ったほうが自分のためになるだろう。
弱い自分と真っ直ぐに向き合って、何が悪かったのかを考える。
その一つ一つを少しずつでもいいから是正していく。
急に出来るようになると考えないほうがいい。
努力したからって、急に結果には現れない。
長い時間かけて積み上げた負債は、
裾野のまだ緩やかなところから、少しずつ返していくしかないのだ。
駄目なものは駄目。
子どもたちに今教えることは、
楽しいこと?
物より思い出?
百歩譲ってそれも大事だろう。
大事だけど、それだけじゃ駄目。絶対に駄目。
もし教えられることが一つだとすれば、
『努力することの素晴らしさ』 これだけは分かってほしい。
もし身に付けられることが一つだとすれば、
『集中力』 これだけは身に付けてほしい。
もし彼等に言葉を残すとすれば、
『命に感謝しなさい。』 生に対して、尊厳、慈愛、畏怖をもってほしい。
子どもは嫌い、勝手で卑怯、残酷、五月蝿い。
だから早く大人になってほしい。
その為に出来得る限りのことを一つ一つ丁寧に。
それではこの辺で。
今年の卒業旅行について頭を悩ませている。
先ずは『行くか行かないか』から始まる。
どうしても費用がかかるものだし、
事故や怪我のリスクはついてまわる。
時期としては、3月13日(木)〜16日(日)になるだろう。
12日(金)が入試で、17日(月)卒業式、
18日(火)が公立高校の合格発表だからだ。
春期講習が22日(土)から始まることと、
年度の更新が重なるので、19日(水)以降は時間が作れそうにない。
最有力なのは15日(土)だろうか。
身体が楽なのは一泊二日だが、一気に出席者が減る気がする(笑)
去年は日帰りでUSJに行ったが、
23時間で1000km近くを走る(昼間はUSJで子どもたちと遊ぶ)という
強行軍だった。
あれはきつかったな〜〜 (遠い目)
去年参加した生徒もいるので、今年もUSJというのは芸がない。
私の中では、山梨観光↓
・富士山を間近でみよう。
・山梨県立美術館にはミレーの種まきがあるぞ!
・富士急で絶叫しよう。
・富士サファリパークで、ライオンちゃんにガウガウ言われよう。
・富士の樹海で置いてけぼりの罰ゲーム。
・かちかち山の舞台になった『山』があったような。。
・私が長年通っているペンションで、人生の大先輩とお話ししよう。
・淡水魚水族館もあるぞ。
他にも探せば色々出てくるでしょう。
山梨大好きっ子としては、是非この線で推したいところ…
ですが!!
日帰りはキツイ。
道中が雪道になる可能性が高い。
という二点に阻まれ、暗礁に乗り上げている。
0泊2日の暴挙(USJのパターン)に出るのなら、東京ネズミーランドもありかな?
ただ、この時期の夢の国は大変混みあってあります。
それも良い思い出になるかもしれないが…
ただ東京往復の運転はやはりきつい。
運転手付きのバスをチャーターするか、素直に電車か飛行機か。
そうなると、費用の問題が出てくる。
むーー。
いっそ岐阜の明治村とかで、『金田一少年の事件簿』ごっこでもするか。
はたまた京都や奈良のベタベタのコース。
(これは生徒の受けが悪そう)
………
ご意見ご要望があれば、是非是非お聞かせ下さい。
今考えていることを書き出したブログになってしまった…
それではこの辺で。
教銘舎の太田です。こんにちは。 |
いつの頃からか年末の恒例となっているのが、母親と御節を作ることだ。
2・3日かけ大量の御節を作り、それを年老いた親戚筋に持っていく。
お歳暮のような感覚で年末の挨拶も兼ねている。
私が何品か作ることもあれば、
御節を詰めたり、親戚のお宅へ持っていく際のお供の役目もある。
ただ近年は冬期講習が年末まで入っているので、確り手伝うことも出来ていない。
親子の交流も勿論だが、
親戚のお宅を回ることで祖父や祖母の逸話や、
戦時中の話、未だ見ぬ親戚!?の話を聞くことができるのが密かな楽しみだ。
私はお年寄りと仲良くなるのが上手いらしい。
特に意識して、何らかの言動をとっているわけではないのだが、
皆さん楽しそうに語ってくれるので、私も楽しく話しを聞く。
あ、ちなみに未だお年玉をもらっているのは内緒にしておこう。
(親戚筋ではほぼ最年少、彼らからすればまだまだネンネのようだ:笑)
お正月や節分、お雛様など日本には四季折々の年中行事がある。
節目節目で季節を感じ、親戚や家族との時間をもち、
これまでを振り返ることが明日への力となる。
忙しい毎日でも大事にしていきたいことだ。
それではこの辺で。