教銘舎の太田です。こんにちは。
レベルの低い話で恐縮だが、
塾の宿題が終わっていないという理由で、
塾を当日欠席する生徒がいる。
当塾の宿題は生徒の学力や、
習い事等の生活習慣に合わせて出題している。
例えば、小6が10名いれば、全ての生徒が違う宿題になるのだ。
カリキュラム表というカレンダーに、
その日その日の宿題を書き、生徒に出題範囲を確認させている。
その際に、『多い・少ない』の意見があれば出来るだけ尊重している。
それでも宿題を終えられないのは、
『出来ない』のではなく、『しない』のだ。
正当な理由があるのであれば、塾に来て申し述べればよい。
理由がないのであれば、確り反省するべきなのだ。
それを『宿題をしていないから、休みます。』(暗に言われることが多い)とは、どういう了見なのだろうか。
そういった時、親御様はこう言う。
『無理に行かせても…』
それは筋が通らない。
確かに、嫌がる生徒を無理に通塾させることは難しい。
しかしそれは、『嫌がる理由』にもよるのではないだろうか。
今回のように、己が為すべきことを為さず、
叱責されるのが嫌で楽な方へ逃げようとする子どもを甘やかしては後顧の憂いとなることだろう。
じゃあ学校も同じように休むのだろうか?
それで学校を休ませる親御様は殆どいないだろう。
それは何故か?
学校に行かせるということが、『当たり前』だからだ。
もっと言えば、児童・生徒を小中学校に通わせることは国が定めたもので、保護者の意思ではない。
つまり自分に責任がない。
塾はといえば、大抵の場合は保護者が通塾を決める。
………
保護者の方には、自分を信じ、
子どもを信じ、塾を信じて頂く必要がある。
そうしないと、伸びるものも伸びないし、
嫌なこと、辛いことから逃げる、甘えた人間になる可能性が高い。
私の手帳に『優しくさせて!』と書いてある。
生徒に厳しい自分が嫌になり、書き殴った言葉だ。
優しくしてあげたい、でも甘やかしたくはない。
人が憂う(うれう)と書いて優しいと為す。
うれう者に人が寄り添うことなのだと思う。
昔はそういった人を『優れている(すぐれている)』と言ったのだろう。
また、人に百の愛と書いて優しいということも出来る。
人は愛がないと優しくもなれないし、優秀にもなれない。
お願いだから、優しくさせてほしい。
それではこの辺で。
レベルの低い話で恐縮だが、
塾の宿題が終わっていないという理由で、
塾を当日欠席する生徒がいる。
当塾の宿題は生徒の学力や、
習い事等の生活習慣に合わせて出題している。
例えば、小6が10名いれば、全ての生徒が違う宿題になるのだ。
カリキュラム表というカレンダーに、
その日その日の宿題を書き、生徒に出題範囲を確認させている。
その際に、『多い・少ない』の意見があれば出来るだけ尊重している。
それでも宿題を終えられないのは、
『出来ない』のではなく、『しない』のだ。
正当な理由があるのであれば、塾に来て申し述べればよい。
理由がないのであれば、確り反省するべきなのだ。
それを『宿題をしていないから、休みます。』(暗に言われることが多い)とは、どういう了見なのだろうか。
そういった時、親御様はこう言う。
『無理に行かせても…』
それは筋が通らない。
確かに、嫌がる生徒を無理に通塾させることは難しい。
しかしそれは、『嫌がる理由』にもよるのではないだろうか。
今回のように、己が為すべきことを為さず、
叱責されるのが嫌で楽な方へ逃げようとする子どもを甘やかしては後顧の憂いとなることだろう。
じゃあ学校も同じように休むのだろうか?
それで学校を休ませる親御様は殆どいないだろう。
それは何故か?
学校に行かせるということが、『当たり前』だからだ。
もっと言えば、児童・生徒を小中学校に通わせることは国が定めたもので、保護者の意思ではない。
つまり自分に責任がない。
塾はといえば、大抵の場合は保護者が通塾を決める。
………
保護者の方には、自分を信じ、
子どもを信じ、塾を信じて頂く必要がある。
そうしないと、伸びるものも伸びないし、
嫌なこと、辛いことから逃げる、甘えた人間になる可能性が高い。
私の手帳に『優しくさせて!』と書いてある。
生徒に厳しい自分が嫌になり、書き殴った言葉だ。
優しくしてあげたい、でも甘やかしたくはない。
人が憂う(うれう)と書いて優しいと為す。
うれう者に人が寄り添うことなのだと思う。
昔はそういった人を『優れている(すぐれている)』と言ったのだろう。
また、人に百の愛と書いて優しいということも出来る。
人は愛がないと優しくもなれないし、優秀にもなれない。
お願いだから、優しくさせてほしい。
それではこの辺で。