教銘舎の太田です。こんにちは。
今日は、とある方からのリクエストにお応えして、禁断のネタを。
時は戦国。
失礼、時は私の小学校時代まで遡る。
当時の私は釣りが趣味だった。
釣りというと、海釣りやバスフィッシングを連想されるだろうが、
当時の私を魅了してやまなかったのは、池釣りだ。
なんとも地味な釣りだが、
民家よりも田んぼの方が多いような土地で小高い丘の上にある、
かんがい用のため池はいつもひっそりと静まっていた。
深い緑に覆われ、
水面にはおおかなだもやヒシなどの水生植物が自生しており、
その脇をアメンボやカメ、トンボなどが行き交う。
風が吹けば水面が揺れ、木々がざわめき、鳥が鳴く。
その一連の流れに身を委ねることで気持ちが落ち着いた。
最初にこの池に連れてきてくれたのは、大好きな祖父だった。
都会から転校してきて、
まだ土地に慣れない私は友達も少なかった。
祖父はそんな私を慮り、よく遊びに連れ出した。
パチンコ、競馬、バイク、舟、釣り、どれももう時効だろう。
(母方の祖父だったが、母親が良い顔をしなかったのは今になって分かる、今にして思えば、小学生らしい遊びは釣り位しかない:笑)
ちなみにパチンコと競馬以外は今でも趣味にしていたり、興味があることだ。
話を戻そう。
祖父との初めての釣行は今でも覚えている。
3m〜4mの伸べ竿に、大きめの浮きと針をつけただけのシンプルな仕掛け。
餌はさつまいもを蒸して、1cmくらいの正方形に切ったものだった。
このさつまいもを切る動作に痺れたのを覚えている。
祖父は釣り場についてから、さつまいもを切り株の上に載せ、
道具入れから取り出した小型のナイフで鮮やかに切りだしたのだ。
サイコロ状に切り出されたさつまいもの真ん中に、
爪楊枝で穴をあけ、針のついた糸をそこから通して針につけた。
(針先は完全にさつまいもに隠れるようにするのが大事だと教わった)
餌は他にもジャガイモを蒸して潰したモノに、
酒と小麦粉を入れ混ぜ合わせて作った練りえなどで、
ミミズや他の生餌は使わなかった。(私は未だに生餌を針にさせない)
仕掛けを投入し、竿はその辺の枯れ木を利用した竿たてに任せる。
切り株に腰掛けて、じっと浮きをみつめる。
その池にはフナとコイしかいなかったように思う。
フナは真鮒でコイは真鯉とドイツ鯉だけだった。
(ドイツ鯉は鱗が気持ち悪い)
フナが餌を食べると、浮きは下に沈むのだが、コイは横に走る。
祖父が最初に仕掛けを投入してから30分程たった頃、
本来海で使われるはずの電気浮き(豆電球と単三電池が入る)に動きがあった。
水面を風が走るように、すーーっと横に動いたのだ。
少し諦めかけていた私には、
浮きが魔法にでもかかったかのように見えた。
なんで動いたの?
魚がつついているからだよ。
そんな当たり前のことを尋ねたのだから、まさに魔法だったのだ(笑)
随分昔のことで、
記憶が美化されているのかもしれないが、祖父はその鯉を針にかけた。
命を懸けた応酬、竿がギュインと音を立ててしなる。
竿が半月をつくる、水面に映った竿とあわせて満月のようにみえた。
そうして数分の格闘ののち、
少しだけ鯉が弱ったところで、私に竿を持たせてくれた。
おじいちゃんが網に入れるから、水辺に寄せて。
そう、竿を立てるんだ。
いやいや、後ろに下がるんじゃなくて竿を立ててごらん。
そんな風に祖父に教えられ、何とか鯉を寄せることができた。
私が人生最初に釣り上げたのは、30cmを超える真鯉だった。
その身体は濃い灰色。美しい流線型は全てと調和する無駄のない形。
顎には鮒が一生かかっても身に付けることの出来ない立派な髭を称えている。
美髭候と呼ばれたのは関羽だったか、うろ覚えなのでかなり怪しい。
結局その日は、その一尾だけだった。
ちょっと長くなったので、続きは後日。
良い話では終わりませんぞ!!
今日は、とある方からのリクエストにお応えして、禁断のネタを。
時は戦国。
失礼、時は私の小学校時代まで遡る。
当時の私は釣りが趣味だった。
釣りというと、海釣りやバスフィッシングを連想されるだろうが、
当時の私を魅了してやまなかったのは、池釣りだ。
なんとも地味な釣りだが、
民家よりも田んぼの方が多いような土地で小高い丘の上にある、
かんがい用のため池はいつもひっそりと静まっていた。
深い緑に覆われ、
水面にはおおかなだもやヒシなどの水生植物が自生しており、
その脇をアメンボやカメ、トンボなどが行き交う。
風が吹けば水面が揺れ、木々がざわめき、鳥が鳴く。
その一連の流れに身を委ねることで気持ちが落ち着いた。
最初にこの池に連れてきてくれたのは、大好きな祖父だった。
都会から転校してきて、
まだ土地に慣れない私は友達も少なかった。
祖父はそんな私を慮り、よく遊びに連れ出した。
パチンコ、競馬、バイク、舟、釣り、どれももう時効だろう。
(母方の祖父だったが、母親が良い顔をしなかったのは今になって分かる、今にして思えば、小学生らしい遊びは釣り位しかない:笑)
ちなみにパチンコと競馬以外は今でも趣味にしていたり、興味があることだ。
話を戻そう。
祖父との初めての釣行は今でも覚えている。
3m〜4mの伸べ竿に、大きめの浮きと針をつけただけのシンプルな仕掛け。
餌はさつまいもを蒸して、1cmくらいの正方形に切ったものだった。
このさつまいもを切る動作に痺れたのを覚えている。
祖父は釣り場についてから、さつまいもを切り株の上に載せ、
道具入れから取り出した小型のナイフで鮮やかに切りだしたのだ。
サイコロ状に切り出されたさつまいもの真ん中に、
爪楊枝で穴をあけ、針のついた糸をそこから通して針につけた。
(針先は完全にさつまいもに隠れるようにするのが大事だと教わった)
餌は他にもジャガイモを蒸して潰したモノに、
酒と小麦粉を入れ混ぜ合わせて作った練りえなどで、
ミミズや他の生餌は使わなかった。(私は未だに生餌を針にさせない)
仕掛けを投入し、竿はその辺の枯れ木を利用した竿たてに任せる。
切り株に腰掛けて、じっと浮きをみつめる。
その池にはフナとコイしかいなかったように思う。
フナは真鮒でコイは真鯉とドイツ鯉だけだった。
(ドイツ鯉は鱗が気持ち悪い)
フナが餌を食べると、浮きは下に沈むのだが、コイは横に走る。
祖父が最初に仕掛けを投入してから30分程たった頃、
本来海で使われるはずの電気浮き(豆電球と単三電池が入る)に動きがあった。
水面を風が走るように、すーーっと横に動いたのだ。
少し諦めかけていた私には、
浮きが魔法にでもかかったかのように見えた。
なんで動いたの?
魚がつついているからだよ。
そんな当たり前のことを尋ねたのだから、まさに魔法だったのだ(笑)
随分昔のことで、
記憶が美化されているのかもしれないが、祖父はその鯉を針にかけた。
命を懸けた応酬、竿がギュインと音を立ててしなる。
竿が半月をつくる、水面に映った竿とあわせて満月のようにみえた。
そうして数分の格闘ののち、
少しだけ鯉が弱ったところで、私に竿を持たせてくれた。
おじいちゃんが網に入れるから、水辺に寄せて。
そう、竿を立てるんだ。
いやいや、後ろに下がるんじゃなくて竿を立ててごらん。
そんな風に祖父に教えられ、何とか鯉を寄せることができた。
私が人生最初に釣り上げたのは、30cmを超える真鯉だった。
その身体は濃い灰色。美しい流線型は全てと調和する無駄のない形。
顎には鮒が一生かかっても身に付けることの出来ない立派な髭を称えている。
美髭候と呼ばれたのは関羽だったか、うろ覚えなのでかなり怪しい。
結局その日は、その一尾だけだった。
ちょっと長くなったので、続きは後日。
良い話では終わりませんぞ!!