教銘舎の太田です。こんにちは。


ナガスパ行きの日程が決定いたしました。


8月21日(木)です。


前日は塾が休みであること、マイクロバスのレンタルが空いていたこと、現在出揃っている出席可能者の人数が一番多いことが21日に決めた理由です。


21日(木)に出席予定であった生徒は、振替指導を致しますので後日渡す書類に振替希望の日時を記入して提出してください。


それでは宜しくお願いします。


 

教銘舎の太田です。こんにちは。


本当は今日載せる予定だった文章があったが、批判的な内容だったので少し冷やしてからアップするか否かを判断しようと思う。


今日は本について。


先日東北大に行った際、道中の車内で高校生が友達にこのようなことを言っていた。



『読みたい本があるんやけど、お金が無くて買えんがいぜ。
で、結局いつしか忘れてしまうんやよね〜』


私は運転しながら話を聞いていたのだが、ふと思いついたことがある。


彼等が読みたいという本を塾で購入してあげること。

条件としては、一冊本を買ってもらう時には一冊自分の本を塾に寄付すること。

新しく買った本は、塾の所有とすること。

一言でもいいから感想を添えること。



塾に本を寄付するというのは、必ずでなくてもいい。
皆に読んで欲しいと思う本があれば持ってくるくらいの感覚でもいいかなと。


一人辺りの予算を決めておかないと、大変なことになりそうだな…


あとは、購入希望図書と寄付図書の申請書を作れば見切り発車でも動きだすことが出来る。


本棚は既に注文済みですゼ、勿論作るのは彼等だけれど…


若い頃にどんどん本を読んでほしい。
良書との出逢いで人生は大きく変わる。


彼等がどのような本を選ぶのか、当然その本は私も読むので楽しみだ。


それではこの辺で。

教銘舎の太田です。こんにちは。



子どもたちを指導していく上で会話が非常に重要だ。


重要なのだが、、、




『おっと、会話が成り立たないアホが一人登場。』
(ジョジョネタです:笑)



遅刻の理由を尋ねたとき、

宿題の未達理由を尋ねたとき、

生徒に宿題を出すために学校進度を尋ねたとき、


こちらが聞いていることに対して、正しく返答を出来ない生徒が非常に多い。



尋ねられていることを理解し、相手の意図を汲み、自分の言葉で簡潔に答えるという一連の流れの何処かで躓いているのだろうが、結構イラツク(笑)


例えばこのような会話だ。


『明日宿題何時間出来る?』

『えっと、明日は9時から部活で、18時からピアノのレッスンがあります。』

『いや、だから何時間出来るの?』




『次回はいつ出席だっけ?』


『明日は部活があるのでこれません。』


『いや、だからいつ来れるの?』




また、こちらの指示をちゃんと聞けない生徒も多い。


席に座ったら、先ずカリキュラム表を出して宿題に答えを挟み、数学から丸付けをするように何度も言っているが、未だにこの基本的な動きが出来ない生徒がいる。
(昨日で連続5日同じことを言った:苦笑)



その他諸々、指示を的確に聞いていないと感じることがある。




指示を聞いていない、理解していない生徒は、集団行動をするときには非常に面倒臭い存在になる。(ごめん)


どこそこには近寄らない。

何時に○○集合。

展示物には触らない。



こういった注意や警告を聞いていない、理解していないのだから、
本人だけでなく周囲にも迷惑をかける可能性が高い。



最後にするが、何を言っているか分からない位の小さな声で話す生徒が多い。


私が怖いことや、自分に自信がないこともその理由にあるのだろうけれど、日に2度3度と『大きな声で分かりやすく話してもらえるかな?』と言うのは辛い。(言われているほうの辛さは理解しない)


そもそも相手に何かを伝えようと話しているはずなのだが、彼等の話す内容や声量は独り言に近い。


それは理論的でもなく、相手が知りたいことを説明する訳でもなく、ただ時系列に並べたり、自己弁護に終始することが多い。




男子にはよく言うのだが、それでは先ず、、、






先ずモテナイ。


モテナクテモイイ?


モテナイってのは男女問わず、人に好かれることがないって意味だよ。


人の話は聞いていない、聞いていても理解していない、言われたことは出来ない、何を言っているのか分からない。


それじゃあ○物と変わらんやんけ!!



aa、ああ、なんと初歩的なことが出来ないのかと絶望的な気持ちになることもある。



あるのだが、それでも直向な生徒は好きだ。


私に叱咤され、反省し、少しでもよくなろうと努力をしている姿は美しい。


別に出来なくいい、いいのだけれど、そこで開き直ったり、諦めないでほしい。


私がいつか出来るようになると信じて伝え続けているのだから。



あ〜、でもイラツキますZ



よしないことを書いたが、本当のことなので。




それではこの辺で。

教銘舎の太田です。こんにちは。



また禁断の準備中を発動してしまい、ブログを溜めてしまいそうだった。。

あぶないあぶない、前回10日近く溜めて痛い目に遭ったのに同じことを繰り返してはいけない。


さてさて、本日は何を書きましょうかね。


む〜、


そうそう、当塾に体験にいらっしゃる方の中で意外と多いのが、親、兄弟、ご主人やお友達、変わったところでは同僚や上司が当塾のチラシを持ってきてくれて、『ここいいんじゃない?』と勧められたというケースだ。


お蔭様で、チラシを折り込みしていない地域からのお問い合わせや、当塾が折り込みをしていない新聞を購読しておられるお宅からのお問い合わせが結構ある。


だが塾をしていると良いことばかりではない。


最近中1と小5に退塾者が出た、その他にも中2と中3にそれぞれ一名退塾勧告をしたが、素晴らしい親御様のお陰でなんとか心を繋いだようだ。


他塾様では数ヶ月退塾者が出ないこともあるようだが、それは私からすればスゴイことだ。


当塾は入塾面談中でも生徒がタメ口を遣えば厳しく注意するし、体験入塾中も生徒のご機嫌をとったりは一切しない。


殆どの生徒は、体験入塾中に私が他の生徒に対して厳しく接しているところを目の当たりにしているし、宿題もそれなりに出す。
(それなりというのは、これまで勉強してこなかった生徒に最初から当塾の生徒と同じレベルを要求するのは酷だと考えてのことだ。)


そういったこともあり、体験から入塾に至る生徒は結構少ない。
つまりは入塾の段階で、ある程度の試練を乗り越えてきている生徒が多いのだ。


それでも退塾者は出るし、月に数名には退塾勧告を出す。
(退塾勧告は、塾を辞めろ!という性質のものではない。
私はこれだけの覚悟を持って君たちと同じ舟に乗っているつもりだが、君にその覚悟がないのなら、申し訳ないが降りてもらえるか?というものだ。
勿論直ぐに出来なくてもいい。ただ、出来るように努力をする覚悟がないのなら…)


退塾者が出るのは悲しいことだが、後ろばかりは向いていられない。


いま当塾で努力をしている生徒のためにも、塾の性質を変えるわけにはいかないし、塾の雰囲気もより良いものにしていかなければならないからだ。



悪いこと51、良いこと49くらいでいいんだ。

本当は逆のほうがいいが、桜井さんがそう言っているから致し方ない(笑)



それではこの辺で。

教銘舍の太田です。おはようございます。

0時30分に塾を出発し、約600kmの旅をして辿り着きました、東北大学!!



ではなくて、朝食をとるために立ち寄ったびっくりドンキー★


皆が携帯をいじっているのは、それぞれの連絡先を登録するため。


文系、理系でキャンパスが違うので、それぞれ一番近いと思われる場所で放出(笑)


その帰り道にみたのは……


乗車率200%以上の乗り合いバス!!

流石は東北随一の大学。
すんごい人気です。


私はといえば、これから美術館と博物館を巡って参ります。


子どもたちに、良い出逢い、気付き、発見があればいいなぁ。


それではこの辺で。
 

教銘舎の太田です。こんにちは。


夏休みの宿題を塾の宿題として子どもたちに課している。


それにも関わらず宿題が多いと保護者の方にお叱りを受けることもある。



いやいや、学校の宿題ですから……



そして学校の宿題にも関わらず答えを写してくる馬鹿者もいる。



塾で学校の宿題をして、さらに答えを写すって……


救えない。


あ〜、また愚痴っぽくなった。


愚痴ブログなんて誰も読みたくないだろうに。。


なにか良い話をしよう。


そうそう、金沢で山本が指導している生徒が北國模試で県内2位の好成績を収めた。

まだ分母は1200人くらいのものだが、それでも大したものだ。


去年の最高位は7位だったか。


既に更新してしまった。


泉・二水突破模試も11位だったかなんだったか(あまり覚えていない)



山本に証拠写真を掲載するからFAXかメールをするように言っていたのに、『私が載せてからですよ。』といなされてしまった。


ちなみに1位の生徒が在籍しているのは…


くぅ、流石ですな。


次回こそは県内1位を奪取してほしい!(他力本願)



それではこの辺で。

教銘舎の太田です。こんにちは。


最近本を読んでいない。


東北に行った際に何冊か買い増したこともあり、自宅には本が斜塔のように高く重ねられている。



こうなったら、強制的にでも時間をつくろう!



ということで、本日の午前中は誰とも約束をせず、電話もマナーにしてしまい、読書タイム。



Jazzなんかを流しながら、お客様から頂いた豆を挽き、アイスコーヒーを淹れる。



読む、読む、読む。



先ずは生徒から借りている本を読破しなければと息巻いて取り掛かったのだが、読み進めるうちに引き込まれ、マナーになっている電話もウザく感じるほど。


塾に行く時間を逆算し、11時30分までと決めていたが、何とか読み終えることができた。



読む本がストックされていないと不安になるクセに、読む本がありすぎてもストレスになってしまう。
なんて面倒くさい奴なんだろう、俺。


昔は研修で遠方まで出向くのと、自宅に籠もって本を何冊か読むことを天秤にかけたりした。

時間と費用は有限だから、直接お会いしてお話しを伺うことと、普通なら会えないような人の書かれた本を読むこと。


そのどちらが今の自分にとって有益なのかと。



2階の高校生用の教室には私が読み終えた本を置こうかと考えている。

ほんの少しだけビレバン風にして、感想を添えられるようにしたい。


『全俺が泣いた!!』は定番すぎて使えないかな…



それではこの辺で。
 

教銘舎の太田です。こんにちは。


とうとう最終日までこぎつけましたゼ★


宿題を溜めると痛い目にあうことと、本気を出せば何とかなることを実感してしまった。


でも… ダメ!絶対!!宿題を溜めるのは。



嗚呼最終日、何を書きましょうかね…


じゃあ先週末で一段落した保護者面談のことを。


ある保護者様に仰って頂いたこと。



『先生、お忙しいのですね。ブログも大分溜まっていますし。
私は朝・昼・晩とチェックしているのですが、中々更新されなくって…』


太:『すいませんでしたぁぁっぁx!!』



別の保護者様。

保:『私たち親がしてあげられることは何かありますか?』


太:『ありがとうございます。精神的にキツイときは温かい言葉をかけてあげてください。あとは体調管理でしょうか。勉強のことはお任せ下さい。 あ、あとは偶に差し入れをして頂ければ(爆)』



数日後…



沢山の和菓子とお赤飯をお届け下さいまして、、
あ、いえ。冗談でした。先日も頂いたばかりですので。


太:『ありがとうございまーーす!!』



で、結局生徒に全部分けてしまい和菓子はおいらの口に入らず!



くぅ…



あ、リクエストではないです。はい。



また別の保護者様との面談中。。


遅刻してきた生徒がおりました。
あ、当塾は5分前には鍵が閉まりますので、14時開始で14時に来ていたら遅刻となります。


保護者の方が目の前におられたので、玄関の生徒を覇気で威嚇しましたところ…


『先生、本当に覇気が出せるんですね。話には聞いていましたが始めてみました…』


太:『ええ。。えっ!お母様、ワンピースをご存知で?』


保:『はい。』


太:『ちなみに見聞色の覇気も使えますよ。宿題をしてこなかった生徒とかは、顔をみれば分かりますから(笑)』




またまた別の保護者様。


保:『実は家の子と○○君はいとこでして…』

太:『えええええええ!!もうかれこれ半年位?になるのに、、聞いてないですよ!!』


ということは、つまりおばあちゃんが一緒。
あ、なるほど。教育熱心な家系でいらっしゃる(妙に納得)




保護者面談楽しかったです。お越し頂いた皆様に心よりの感謝を込めて。



追伸
カボスジュース、敢えて常温で飲んでみようと思います。



それではこの辺で。

教銘舎の太田です。こんにちは。


高岡や中部へ行く生徒を大きく分けると2通りになる。



天才型か秀才型か。


そこまで勉強をしなくても出来てしまう生徒というのは少なからずいる。(その才も中学レベルまでしか通用しないことが多いのだが)


そういった生徒とは対極的に、コツコツ毎日何時間も勉強をしてもどうしても届かない生徒もいれば、何とか450点以上を取れるようになる生徒もいる。


当塾はどちらかといえば、秀才型の生徒が多い。
入塾前は50番前後で、入塾後1位〜20位以内にはいる。
大体はそこで油断して、一度点数を下げてしまうのだが…


それはさておき、今日はそうした生徒の性格というか、力の使い方の話をしたい。


天才型の生徒はよく喋る。

もう放っておけばペラペラと下らないことから、経済の話や科学の話などをずっと喋っている。

私からすれば、それはアウトプットの作業であり、彼等は学んだことを口にすることで、口にしながら考えること(考えてから口にするのではない)で、自分の中に落とし込んでいくのであろう。

どちらかと言えば批判的で、規定の正義がないことは分かっており、自分の価値基準にしたがって人や物事をみていることが多い。

自分の行動に他人を巻き込んでいくこともよくあり、小さな集団の中心的存在になりえることがある。




秀才型の生徒は寡黙なことが多い。

話を振ると遠慮がちに考えながら言葉を口にする。


一見思慮深いが、自分の知識が正しいのかを精査しながら話をする姿は臆病にも見える。


アウトプットよりもインプットが得意。
だけどアウトプットしていかないから定着しにくいし、容量も小さいままのことが多い。

他人に対して優しく接するし、他人は他人という価値観を持って接していくために、非常に人当たりがよい。

そうしたことから、意外と大きな集団をまとめる能力に長けている。
(理想的なのは、その下に天才型の実行部隊を持っていることだ)



こうした2通りの生徒諸君に物申す。
(私はどっちですか?と聞いてこれば即答してあげるよ。
勿論どちらでもない馬鹿もおりますので、期待した答えでなくとも泣かないでね)



天才型の生徒は、もう少し力を自分の中に押さえ込む努力をするべきだ。

四方八方に拡散するそのエネルギーを、自分の中で練ること。
人を人とも思わない言動や思いやりや配慮に欠けた行動を慎むこと。

10言いたいことがあるとすれば、3も話せばもう十分。
大丈夫、君たちが賢いことも、ちゃんと努力をしていることも知っているから。




秀才型の生徒はもっと視野を広げるべきだ。


狭い世界で満足していないで、どんどん新しいことを始めていけ。
最初は上手く出来なくてもいいじゃないか。君たちは努力の天才だ。

いつか必ず出来るようになる。
自分の視点だけで物事を捉えるのではなく、相手の立場や第三者の立場になって俯瞰してみる訓練も為していけ。

模範解答なんて気にしなくて良い。
定められた正義なんて偽りばかりだ。何が正しいか、何が間違っているかは自分で判断することだ。





ちなみに私はどちらでしょうか?





聡明な皆さんならもうお分かりですよね。



馬鹿です(爆)



でも人から気が狂ったと思われるくらいに、ひとつのことに打ち込むことが出来るようになりたいと願っている馬鹿です。



それではこの辺で。
 

教銘舎の太田です。こんにちは。


保護者の方との面談で興味深い話をきいた。


その方のお子さんは、学校よりも塾の方がよく、友達と一緒にいるよりも私と話している方が楽しいという。



これだけ書けば、私がとても良い先生であり、良き友であるように思われるだろう。


が!!


正直私に思い当たる節がないのである。



他の生徒と比べても特別仲良くしている訳でもなく、通塾期間も半年未満、学年が低いために深い話をする訳でもなく、塾で行う課外授業に参加したこともなく、休憩中に特別遊ばせている訳でもないのだ。


特に近い訳でも、遠い訳でもない、一昔前の父親と息子のような関係。



それでも塾が好き、私が好きだと言ってくれるのにはなんらかの理由があるのだろう。


それを3日程考えた(笑)



本当のところは分からないが、私なりに推測したことを挙げよう。



勉強をすることで自分が成長できることが嬉しい。
努力をする人間が認め、怠惰な人間にはとことん厳しい指導方針が合っている。

普通の大人なら口にしないような(表現が難しい…)、本質を突いたことを言う。(取り繕ったような綺麗ごとは述べない)



一番は殆どの生徒が、塾という集団の中に身を置きながら、それぞれの生徒が自己と向き合い、一人で戦っているところ(彼もそうだ)が良いのではないかと考えている。



私はよく生徒にこのようなことを言う。



『人は生まれる時も一人、死ぬときも一人、でも一人では生きていけない。他人にしてもらうこと以上のことを人にしてあげられる人になりなさい。

悩みなんて一人で解決できることと、自分では解決できないことしかない。
一人で解決できることを他人に巻き散らかして迷惑をかけるのではなく、自分と向き合い解決しなさい。

自分では解決できないことに関しては悩むだけ無駄。』



当塾の生徒には友達が少ないという者が多い(笑)

実のところ私もそうだ。
友達と呼べるのは片手でお釣りがきてしまう…



負け惜しみではなく、それで良いと思っている。
数少ない友達とも、数ヶ月に一度会うか、気が向いた時に電話をするくらいだが、それで寂しいと思ったことなど一度もない。


私は他人より自分と向き合うことが楽しい。



多くの人は、友達という鏡に自分を映しているだけではないだろうか。


周りにどう思われているか、自分はどういった位置にいるのか、自分は大事にされているのか。


LINEの友達登録数や、Facebookの友達申請(やっていないのでよく分からないが)に一喜一憂することのなんと虚しいことか。
(ツイッターはもっと嫌いだが)


そんなものに没頭するくらいなら、一日塾を休んでもいいから、1900年前半の純文学を数冊読んでもらいたいものだ。



その辺に転がっている繋がりたい症候群の雑魚よりも、数万倍深い世界が其処にはある。


彼等が命を賭して書き上げた作品は影響力が強いので、あまり没頭しすぎるのはちょっと危険だけれど、、まあそこまでの感受性も読解力もないだろうから大丈夫か(失礼)


ある保護者様の言葉から色々考えることが出来た。



教銘舎、遊ぶ時は仲間だけれど戦う時は独りの塾。


う〜ん、ステキ。


それではこの辺で。