教銘舎の太田です。こんにちは。 |
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高岡や中部へ行く生徒を大きく分けると2通りになる。
天才型か秀才型か。
そこまで勉強をしなくても出来てしまう生徒というのは少なからずいる。(その才も中学レベルまでしか通用しないことが多いのだが)
そういった生徒とは対極的に、コツコツ毎日何時間も勉強をしてもどうしても届かない生徒もいれば、何とか450点以上を取れるようになる生徒もいる。
当塾はどちらかといえば、秀才型の生徒が多い。
入塾前は50番前後で、入塾後1位〜20位以内にはいる。
大体はそこで油断して、一度点数を下げてしまうのだが…
それはさておき、今日はそうした生徒の性格というか、力の使い方の話をしたい。
天才型の生徒はよく喋る。
もう放っておけばペラペラと下らないことから、経済の話や科学の話などをずっと喋っている。
私からすれば、それはアウトプットの作業であり、彼等は学んだことを口にすることで、口にしながら考えること(考えてから口にするのではない)で、自分の中に落とし込んでいくのであろう。
どちらかと言えば批判的で、規定の正義がないことは分かっており、自分の価値基準にしたがって人や物事をみていることが多い。
自分の行動に他人を巻き込んでいくこともよくあり、小さな集団の中心的存在になりえることがある。
秀才型の生徒は寡黙なことが多い。
話を振ると遠慮がちに考えながら言葉を口にする。
一見思慮深いが、自分の知識が正しいのかを精査しながら話をする姿は臆病にも見える。
アウトプットよりもインプットが得意。
だけどアウトプットしていかないから定着しにくいし、容量も小さいままのことが多い。
他人に対して優しく接するし、他人は他人という価値観を持って接していくために、非常に人当たりがよい。
そうしたことから、意外と大きな集団をまとめる能力に長けている。
(理想的なのは、その下に天才型の実行部隊を持っていることだ)
こうした2通りの生徒諸君に物申す。
(私はどっちですか?と聞いてこれば即答してあげるよ。
勿論どちらでもない馬鹿もおりますので、期待した答えでなくとも泣かないでね)
天才型の生徒は、もう少し力を自分の中に押さえ込む努力をするべきだ。
四方八方に拡散するそのエネルギーを、自分の中で練ること。
人を人とも思わない言動や思いやりや配慮に欠けた行動を慎むこと。
10言いたいことがあるとすれば、3も話せばもう十分。
大丈夫、君たちが賢いことも、ちゃんと努力をしていることも知っているから。
秀才型の生徒はもっと視野を広げるべきだ。
狭い世界で満足していないで、どんどん新しいことを始めていけ。
最初は上手く出来なくてもいいじゃないか。君たちは努力の天才だ。
いつか必ず出来るようになる。
自分の視点だけで物事を捉えるのではなく、相手の立場や第三者の立場になって俯瞰してみる訓練も為していけ。
模範解答なんて気にしなくて良い。
定められた正義なんて偽りばかりだ。何が正しいか、何が間違っているかは自分で判断することだ。
ちなみに私はどちらでしょうか?
聡明な皆さんならもうお分かりですよね。
馬鹿です(爆)
でも人から気が狂ったと思われるくらいに、ひとつのことに打ち込むことが出来るようになりたいと願っている馬鹿です。
それではこの辺で。
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