教銘舎の太田です。こんにちは。


ある日塾に入ると、水槽が劇的に変化していることに気がついた。


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昨日まではこんな感じだった水槽が…



なんてことでしょう!



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こんなにも素敵なオアシスに生まれ変わりました。




ある生徒が私が塾を留守にしている間に作業をしてくれたのだ。
味のある石に、コケの生えた流木。


生体も増えている。


どじょうちゃんに、なんとかエビ。


コケで汚れていた壁面は磨かれ、水も替えてある。



これだけのことをするのに、どれだけの労力と時間を要したのだろう。
それを思うと、申し訳ない気持ちになる。


ありがとう。
夏期講習の疲れが吹っ飛んだよ。


あ、ちなみに今後のメンテナンスもお願いしてもいいかな?

こんなに綺麗になったら、何処をどう触っていいか分からないから(笑)


良い生徒に恵まれた。


それでは。

教銘舎の太田です。こんにちは。


素晴らしい本に出逢った。


その本は、感動で涙が止まらないというようなものではない。最初の数行を読んだだけで、胸に大きな石を乗せられたような息苦しさを感じた。


重い内容だったが、綺麗な言葉で彩られた文章のお陰ですーっと読み終えることが出来た。


テンポよく変わる場面に、幾度となく過去と現在が入り混じり、話の筋が分からなくなり何度か戻っては読みを繰返した。


読み終えた瞬間に、もう一度読み返すなんて、小説では何年ぶりのことだろう。


えっ?題名ですか?


ここでは書かないでおきます。
本とは出逢うべくして出逢うものだと思うので。


生徒には、勉強は出来なくても本が読める人になってほしい。



………


まあ、本が読める人ってのは大抵勉強が出来る人なんでしょうがね。。


それでは。

教銘社の太田です。こんにちは。


保護者の方とのお茶会を検討している。

保護者面談というほど堅苦しいものではなく、一緒にランチをしたり、お茶を飲みながら生徒のことや生徒のことや、生徒のこと以外もお話しましょう。というものだ。


1:1だとちょっと緊張してしまうので、保護者の方は2〜3名がよい。(当塾はたまたま幼稚園が一緒だった生徒が多数在籍しているため、意外と保護者の方同士が知り合いのケースが多い。また、同じ中学校に通っている生徒だと、大抵はお知り合いだろうと勝手に考えている)


勿論保護者会も頻繁に行うつもりでいるが、もう少し保護者の方とお話をする機会を増やしたいと考えてのことだ。


殆どの方がこのブログをご覧になられているだろうが、ここで結構キツイことも書いているので、文章では伝えきれない部分をお話する必要もあるだろう。


自分で言うのもなんだが、塾や学校の先生が言うことは正論なのだ。

だが、正論を盾に、進路を剣にして事に当たるのは間違ってはいないが、正しいことではない。


言われている方の身になれば、正論だけにきついものがあるだろうし、分かってはいるが止められないというのが人間だからだ。
(正論がまかり通る世の中ならどんなに楽なことか)



多くの場合、塾に通わせる(決定をする)のは保護者の方で、実際に通うのは子どもだ。

そもそもスタートの段階で保護者の方と子どもに考え方の違いがあるだろうし、保護者の方が塾に通わせようと考える動機も三者三様だろう。



しかし塾で提供するサービスにそこまでの多様性はない。(一般的に)

サービス業なんて言われているが、サービス精神を出して保護者の方や生徒に合わせようとすればするほど、生徒の学力向上は遠くなる。


だからこそ、塾には専門性が求められると思っている。


若くて可愛い先生やイケメンの先生が良いという生徒もいれば、その地域で何十年と営業されている塾が良いという保護者の方もおられるだろう。

兎に角成績を上げてほしいという方もあるだろうし、子どもが機嫌よく通ってくれればよいという方もおられるだろう。


だからこそ当塾はチラシなどにも『何を目指すか』を明確に記しているつもりだ。


入塾面談の際にも営業トークはしないし、当塾に合わないと感じた場合は正直にお伝えするようにしている。


そうすることがお互いのためなのだ。


そうした過程を経ても、状況や状態の変化により塾の思いと保護者の方の思い、子どもの気持ちがすれ違うことがある。

それが是正出来るものであれば何とかしたいし、腹を割って話合った結果、やはり『違う』ということになるのかもしれない。


その蓋を開くのは怖い部分もあるが、見て見ぬ振りをすることは正しくない。



パンドラの箱のように、最後には希望が残っていることを願っているが…



そうした悩みがあり、出てきた案がお茶会なのだ(苦笑)




思い違いを放っておくと大きく開いてしまうことがあるので、もう少し頻繁にお話する機会を作れないかと。


このブログをご覧になられている保護者の方で、私とちょっと話がしたいとお考えの方。


どうです、お茶でも(笑)
(正直にいうと実験です)

別にお一人でも構いませんし、二人でも三名一緒でも歓迎です。


どうぞご検討くださいませませ。


それではこの辺で。


教銘舎の太田です。こんにちは。


生徒を叱るとき、生徒に厳しい言葉を与えるとき、生徒を帰すとき、いつも悩んでいる。


言って分かるものなら、言って聞かせる。


理を重ねて説明しても、理解はしていても行動が伴わない生徒には厳しい言葉を与える。


それでも響かない場合は帰宅させることもある。


帰宅しなさいと伝えた時、大概の生徒はその場に固まる。
私の真意をはかりかねているからだと思う。

そういった間(ま)で私も悩む。

帰すことで起こり得る可能性と、帰さずにおくことで変容する可能性、双方の可能性の中で良い芽に育つのはどちらかと考える。

そのまま帰すこともあれば、やはり残るようにと指示することもある。


帰りなさい。と言われて素直に帰る生徒もいる。
こういった生徒は心が未熟なことが多いので、本当は帰してもあまり良い方には動かない。

それでも宿題をしていなかったり、当たり前に出来ていなければいけないこと(忘れ物や時間を守ること)を何度も破ると帰宅させることになる。

すんなりと帰った生徒が座っていた椅子をみて後悔する。



私にはプライドがある。意地や自己有能感もある。

こういった塾を創りたい、こういった生徒を育みたいといったビジョンもある。

そういったものが邪魔をしているのかもしれないし、そういったものがないと駄目なのかもしれない。


生徒を叱っている時、ふっと思うことがある。
この場で私が泣いて訴えかければ彼等は変わるのかな?
この場で私が低頭で頼めば彼らは努力をするのだろうか?

私の持っているものなど全て擲ってでも彼等を何とかしたい。
それは教育者としての思いなどではなく、ただの意地やエゴなのかもしれないが、本当にそう思うことがある。


己の力不足に腹が立つ。
怠惰な生徒にもいらつく。


くぅ


毎年こんなことを繰り返し、何とか受験の頃には形にしている。
綱渡りの毎日、あ、毎年か。

ここから脱するには…

中学生の募集停止。小学3年生迄しか入塾させない。
本音を言えば、小学生からの入塾はさせないだけど。。


もしくは運動部の入塾を認めない塾?
冠婚葬祭など特別な事情を除いての欠席を認めない塾?

受験をなめるな!と言いたくなることが多いので。。。


半分冗談、半分本気でゴザイマス。


悔しいので、もっと頭と身体を使っていこうと思います。
絶対に諦めない。

それでは。

教銘舎の太田です。こんにちは。


昨日携帯電話が壊れた。



相手の声は聞こえるのだが、こちらの声が相手に届かないのだ。



9月が更新月なので、そろそろ新しいガラケー(笑)にしようと考えていた矢先のことだった。


もうちょっと頑張ってくれたらよかったのに。。



この携帯は薄さが9.8mm、ワンプッシュオープンもついていたので、かなり気に入って使っていただけに残念だ。


裏蓋を外して製造年を確認すると、2008年3月と記載があった。
6年半も使ったのか、大分おじいちゃんだったわけだ。


保険に入っていたことを思い出し、DOCOMOに電話するが、同じ機種の用意は出来ないとのこと。。4500円で違う機種の再生機へ交換してくれるというので、パナ製のものを注文。

その代替機が届くまで、とり合えず自宅にあった古い形態にSIMカードを移して使うことにした。



新しい機種を購入しようにも、キャリアも機種も決まっていない状態なので、これから調べてみようと思う。


登山なんかもするので、昔あったGショック携帯のような機種を探してみよう。



そうそう本題。


昨日当塾へご連絡を下さった方で、こちらが無音状態だった方はいらっしゃいませんか?

大変失礼致しました。本日以降はちゃんと電話が通じますので、宜しければ改めてご連絡を下さいますようお願い致します。


電話帳の移動など面倒なことも多いが、新しい物を気兼ねなく買えることはちょっとだけ嬉しい(笑)



それではコノヘンデ。

教銘舎の太田です。こんにちは。



教室のお手洗いに掛けてあるタオルを、思い切ってペーパータオルにしようと考えている。

毎回の交換や、洗濯に時間をとられるし、これから病気が流行る季節に入っていくことも考慮してのことだ。


が、実は未だにハンドドライヤー(エアータオル)と悩んでいる。


ペーパータオルの良い点は、清潔であること、イニシャルコストが低いこと、手入れがないこと。
欠点は、ランニングコストがかかること、ゴミが増えること、替えを置いておくのに場所をとること。


ハンドドライヤーの良い点は、紙を交換する手間がないこと、ちょっとオシャレな感じ、ランニングコストが殆どかからないこと、まあまあ清潔であること。


欠点はイニシャルコストが結構かかること、水を捨てる手間がかかること、恐らく水しぶきが壁などにつくこと、そして一番ネックになっている騒音が出ること。


静けさがウリの当塾で、ハンドドライヤーの音はきっと耳障りだろう。


ゴミも出ないし、紙交換の手間も掛からないので、かなりグッとくるのだが……


いっそのこと、両方つけてみようか。

両方あれば生徒が空気を読んで、どちらを使うか選んでくれるハズ!?


子どもたちにもどちらが良いか、聞いてみようかな。。。


それではコノヘンデ。

教銘舎の太田です。こんにちは。



中3生を中心に、宿題をしていない生徒、忘れ物をしてきた生徒、嘘をついた生徒、誤魔化そうとした生徒、男子2名、女子2名、小学女子1名を帰宅させた。



大半の生徒は一日半分の宿題であった。
宿題は出来ていなかったが、説教だけで塾に残した生徒もいる。



宿題をしてこなくてもいい。だが、嘘をつかれるのは嫌だ。
そのようなことを繰返して行われると、その生徒に興味がなくなってしまう。


それで困るのは誰だ?
私か?保護者の方か? そうではない。



生徒自身だ。


若輩の彼等はそれが分かっていない。まるで勉強をしてやっているような態度の輩も居ると聞く。(流石に当塾にはいない)


困るのは本人だから放っておけば良い。というのは問題を先送りにしているだけの無責任な人間の言うことだと思っている。


可愛い子どもたちが将来辛い思いはさせたくないし、このままではそのようになってしまう可能性があるのであれば、出来るだけ早く是正してあげたい。


こんなことを言うと噴飯ものかもしれないが、私は本気で生徒に成長してほしいと思っている。 その為なら、鬼にでも何でもなろう。


ソレデハコノヘンデ。


追記

その後1名の生徒から、直接謝りに來塾しても良いでしょうか?と問い合わせがあったので、言葉ではなく行動で示すように伝えた。

1名の生徒はサボッた分の宿題を家で全て終わらせて19時過ぎにやってきた。


早々に帰った男子生徒たちは家で勉強をしているのだろうか。。


考えても詮無きこと。


それでは。

教銘舎の太田です。こんにちは。


子どもたちには常々大きな声で返事をするように言っている。
その甲斐あってか、私が生徒全体に対して声を掛けた時にも返事をするようになってきた。


だが、『はい!』という返事でも気持ちのよいものと、ちょっと怖いものがあるのだ。


それはどのようなケースか。


掃除や片付けを頼んだ際、生徒が『はい!』と言うのは気持ちが良いものだ。



宿題を出す際、私はよく『これで大丈夫かな?』と確認するのだが、その内容や量も確認せずに『はい!』と言われると、少し怖い。


そうした返事をする生徒は、その宿題をするには一日何時間机に向かうのかを想像出来ていないのだ。
そして未来の自分に期待して、『はい! 出来ます。』と軽い返事をするのだろう。


そうした返事をする生徒は、翌出席日に暗い顔をしてやってくることが多い(苦笑)


宿題に限らず、他人から頼まれごとをした際はよくよく考えて返事をするべきだ。
相手はあなたを信頼してお願いをしているのだから、安請け合いして、結局出来ませんでした。では話にならない。


もし断るのであれば早めに、そして断る理由も正直に伝えよう。
そうすることで、相手はこれまで以上にあなたを信頼してくれるかもしれない。


それではこの辺で。

教銘舎の太田です。こんにちは。


いつも同じようなことを言っているが、宿題をしてこない生徒がいる(苦)


実は宿題をしてこない=叱られるではないのだ。
宿題をしてこなかった場合、先ずはなぜ宿題をしなかったのかを問われる。


次に宿題をしなかったことによる穴をどのように埋めるのかを問われる。


大抵は居残りであったり、翌日以降の近々で出席をすることになるのだが、その問答がちゃんと出来れば殆ど叱られない。


私にすれば、起きてしまったことは仕方がないと思っているし、叱りつけて生徒を委縮させるよりも、その失敗を糧に今後どのように勉強に向き合っていくかの方が重要だからだ。


宿題をしてこなかったは、部活や習い事を理由に追加出席も拒むは、黙り込むはでは、叱らざるを得ない。


叱るのにも時間がかかるし、教室の雰囲気も悪くなる。生徒自身も辛いだろうから、宿題をキッチリしてくるようにしてほしいものだ。

もし出来なかったのであれば理由を説明してほしいし、弱い自分に負けてサボってしまったのであれば家でもう一度頑張りますではなく、自分と戦わなくてもいい塾で頑張ってもらいたい。


生徒にはこのように言っている。

『君たちの言葉は信じない。だから行動で示すように。』


信頼を培うのは言葉ではなく、行動であることをそろそろ理解してほしい。


毎度毎度同じようなことで申し訳ありません。


それではこの辺で。
 

教銘舎の太田です。こんにちは。


塾をしていると、ふっと怖くなることがある。


何十人もの生徒を指導しているが、私はこの子たちに何を残せるのだろう。

生徒たちにとって、このスタイルがベストな指導方法なのか?と頭をよぎる。


生徒たちの人生は塾に通う、通わないで確実に変わる。


昨年の進路指導でも、相当進路を上方修正させたし(学校での進路指導が堅実なので)、高専を合格した生徒は私が公立受験を決めさせたようなものだ。
(決して自慢したいのではない)


そうした進路の決定は勿論のこと、多感な年齢の生徒が私という人間から受ける影響は小さくないはずだ。


そのように考えると、この仕事に就く重みというものが圧し掛かってくる。



逆説的だが、私は生徒にどのような状況でも芽を出す強さをもってほしいと思っている。


やれ環境がどうとか、他人がどうとかと言わずに、自分の生きる道は自分自身で切り拓く強さを持ってほしいのだ。

賢い人間はどのような状況からでも学ぶことが出来るし、どんなに困難な苦境にあっても必ず活路を見出すものだ。


他人から言われたから行動するのではなく、自分で考えて行動出来る人に。

相手を外見や年齢、立場で判断するのではなく、もっと本質的な部分を見られる人に。

守られる人から守る人に、そうした独立不羈の精神を培ってほしいと考えている。


グルグルしたが(笑)、結局は自分自身がどのように在るかだろう。


現在は塾=私なので、もっと刃を研ぎ、心を磨かないといけない。
そのように努力をしていれば、迷いや恐れが顔を擡げることも減っていくことだろう。


結局は生徒の勉強と一緒だ。
勉強すればする程分からないところが増えるし、どれだけ勉強しても完璧ということはない。
それでも勉強を続けることで自信がつくし、これだけやってダメなら…という諦めもつく。

一歩でも足を進める限りってやつだな。


自問自答失礼。


それではこの辺で。