教銘舎の太田です。こんにちは。



小学生の生徒を指導するのは大変なエネルギーがいる。

中学生の入塾問い合わせが多いことや、

小学生の授業料が低めに設定してあること(経営的にみるとデス)も影響して、

小学生の募集を辞めようか?などと考えてしまうことがある。



だが、難関大学への進学や附属中学校の受験。。。


いやいや高岡高校、砺波高校などの進学校に合格するためにも

小学生から勉強の型を身につけることは十分条件ではなく、必要条件になっている。




小学生からそんなに勉強をしなくても、、

とお考えになる保護者の方もあるだろうが、

中学校の勉強というのは、中学校で突然始まるものではないことはご理解頂けるだろう。



中1で躓く単元として、数学では方程式がある。


この方程式、

足し算、引き算、掛け算、割り算、分数(最小公倍数や最大公約数、通分)、少数、

割合、速さ、面積、そして国語が出来ていないと、必ず分からなくなってしまう。


そして、この方程式で躓くということは

比例、式の値、連立方程式、一次関数、二次方程式、

二次関数、展開に因数分解、平方根と空間図形と関数の融合問題などなど、

中学校で学ぶ殆どの単元が理解不足になるということを意味している。


しかも性質が悪いのは、この方程式を習うのが2学期以降という学校が殆どであるということだ。


初めての中学校は勉強が難しいのではないかと、ドキドキしていたら、

1学期のテストはまあまあの点数であった。
(ここでいうまあまあとは400点以上をいうが、1学期のテストが400点前半ではまあまあではなく
かなり危ないと言わざるを得ない。450点以上を常に取っていなければ、
理解不足の種から芽が出てあっという間に広がってしまう可能性があるからだ。)


なんだ、中学校って勉強が難しいと思っていたけれど大したことないじゃない。


そして夏ごろには中3が部活を引退するので、中1の部活も本格的に始まる。


毎日楽しく学校に行き、宿題をして、部活をする。


一見充実しているように見えるが、その実理解不足の種は確実に根を張っているのだ。


2年生から内申点がつくから、勉強も頑張らないと。と思っても、

既に学校の平均点は300点から350点。(多くの中学校がこのくらい)


このまま平均に乗って、行き着く先には偏差値50前後の高校しか待っていない。


偏差値50前後の高校が悪いというわけではないが、

偏差値からも分かるように、一番人数が多い層なので倍率が結構なことになる。


高岡市で言えば、西が顕著な例だ。



西に行って、努力をすれば何とかなるか?

非ではないが、是でもない。

大学入試というものはそんなに甘いものではないからだ。


高校入試が県大会(市大会)だとすれば、大学入試は全国大会。


難関大学になれば、物心つくころから、

その大学に合格するために努力を継続してきたような受験生と机を並べないといけないのだ。


努力量の観点から言っても、敵う訳がない。



では自分が行けるレベルの大学や、専門学校に行ってからどうなるか?


そこまでは言及しないが、良いと言われる高校や大学にはそれなりの根拠がある。


そこが人生の岐路になることは少なくないだろう。


その為にも、今出来ることを全力で為さなければならない。



学生の本分は勉強。

アイポッドもパソコンも恋愛も青春ゴッコもその後で宜しい。



このようなことを書くと批判もあるだろうが、

私は無責任に子どもに夢を与えたくないと考えているし、

私なりに子どもたちのことを思って指導している。


耳に痛いことかもしれないが、

少し先の未来のために必死になってほしいと考えている。



小学生からの勉強は必要だ。



それではこの辺で。
教銘舎の太田です。こんにちは。
 
 
 
塾で生徒と接していると、生徒の言動に対して注意をすることや
 
宿題をしてこない時や、時間を守らなかった際に叱ることがある。
 
 
ちなみに叱ると怒るは別の意味であり、
 
塾生に『先生に怒られた。』とは言わせないように指導しているつもりだ。
 
 
私が生徒を注意するときや、叱るときに気をつけていることがいくつかある。
 
もしかするとご家庭でも応用できることかもしれないので、良かったら試して頂きたい。
 
 
注意する、叱るということは、注意される、叱られることをしたという事実がないと成り立たない。
(面倒臭い奴だなぁ、と感じた方とは意外と仲良くなれますよ)
 
 
例えば彼女とパスタを食べに行って、
 
『ズズーーっ』と麺をすする音を立てるのはマナー違反だ。
 
 
 
だが、老舗の蕎麦屋に行って箸に蕎麦をグルグル巻き、
 
ツユに放り込んで一口でほうばるのは、(咎められはしないだろうが)マナー違反だ。
 
 
噺家さんが扇子で蕎麦を食べる様子をみても分かるように、
 
蕎麦はやはり音を立てて食べないといけない。(笑)
 
 
何を伝えたかったのかというと(汗)、先ずはルールが必要なのだ。
 
そのルールを明示して、何時からこのルールを適用します。と伝えなければならない。
 
 
 
そうした規則の周知を十分に為した上で、
 
規則を破った生徒は注意や叱ることになる。
 
 
叱る際の注意点は3つ。
 
 
※犯した行動についてのみ言及すること。
 
昔のことまで引っ張り出してきて、あの時もあなたはこうだった。などとやり出してはいけない。
 
そのようなことをすると、子どもは何故叱られているのかが分からなくなり
 
こちらの言葉を右から左に流してしまう。
 
 
※犯した行動は何故いけないのかをちゃんと説明すること。
 
例えばこんな場面だ。
 
 
『明日の模試会場は商工会議所ではなく、地場産です。念のためにスリッパを持っていってね。』
 
 
一人一人に話しをしている時は、ちゃんと返事をするのに
 
全体に対して話をすると、殆どの生徒は返事をしない。
 
それでは、私の話を聞いて内容を理解したのかが分からないのだ。
 
 
だからこそ、全体に話をしている時でも返事をすることが重要になる。
 
『ちゃんと返事をしないと、君たちが理解しているかどうか私が分からないでしょ。みんな分かった?』
 
『はい・分かりました。』×人数分というのが当塾の常識なのだ。
 


※きちんと出来るようになるまで繰り返し伝え、出来るようになったら認めてあげること。

 

母親の説教は長いことが多い。(失礼)
 
それは何度も叱りたくないという、母親の優しさから来ているのだろう。
 
だからこそ、最初は靴を揃えなかったことを咎められたはずが
 
最後には話しが勉強が出来ないことになっていたりする(苦笑)

 
 
子どもは長い話は聞いていない。

というか、
 
理論的な思考力が弱い子どもは、長い話を理解できない。
 
長い話も途中からは単語でしか認識していない。
 
 
大人が出来ることは、当然子どもも出来ると考えている大人は幼い。
 

自分が子どもの頃、そのように出来ていたか?
 
一度言われたことは、聞き分けよく理解したかと自身の胸に手を当てて考えてほしい。
 
 
……考え中……
 
 
はい、出来ませんでした。
 
 
何度も同じことを言われて、言われて、言われていて、
 
一緒にいる時は言われていたことが、一人暮らしをするようになって、
 
初めて自発的にしていることに気づいた。手洗いうがい(笑)
 
 

人は痛い思いをしたとき、繰り返し言われたとき、心を動かしたときに行動が変わる。

 
 
そういった特性を理解して、細かいことでも繰り返し何度でも言い聞かせる忍耐力をもつ必要があるのだ。
 
 
ついでに言うと、繰り返して言うことだからこそ、
 
注意・叱る際に、その事柄から本人の人格否定に繋がるようにしてはいけない。
 
 
 
例えば、
 
『手洗いうがいはした? まだしていないの?本当に駄目な子ね。』
 
というような感じだ。
 
 
むしろ、
 
『手洗いうがいはした。(してある。) 流石だね。』と伝えてあげると自発的に行う可能性があがる。
 
 
 
子どもたちを叱るとき、注意するとき、その子の過去現在未来を考え、想像して為している。
 
自分のためにではなく、相手のために、伝わる言葉でと考えて。
 
 
 
大人になってからも叱られることを恐れている私は、
 
きっと子どもの頃、大人に誉めてもらいたいと思って努力したのだろう。
 

 
親にあまり構ってもらえなかった少年時代、

親が大層過保護な親戚の子を羨ましいなぁと感じたこともあったが、

大人になってみて、その親戚の現状をみると、

植物と同じで、栄養をやりすぎても駄目になるって難しいなぁ。なんて思ってしまった。
 

 
それではこの辺で。
教銘舎の太田です。こんにちは。


連日学校では保護者面談が行われ、受験校の決定が為されているようだが

塾の講師として生徒の勉強をみている立場で言わせて頂くと、



受験校の決定は未だ早いのではないだろうか。


成績が足りない?

内申が厳しい?


あと1ヶ月ちょっとで、どれだけでも伸びる。

内申の不足分位、入試で取り返そう。



無理だと思えば無理になってしまうし、

出来ると思えば出来るようになる。


君たちの言っていた志望校と言う言葉は、そんなに軽いものだったの?


ちょっと大人に合格は難しいって言われたくらいで揺らぐようなもの?

1ヶ月、死ぬ気で努力して、努力して努力して、努力して、最終決定時まで粘って。



それでも難しいって思うのなら、受験校は変更すればいい。


○○高校なら良くて、●●高校は駄目なんて狭量なことを言っている訳ではない。


折角追い詰められているのだから、力を発揮するチャンスでしょう。


負けるな、怠けるな、怯むな、怠るな。



飼い慣らされた犬みたいに従順じゃなくてもいい。

もっと自分に向き合って、勉強に向き合って、我武者羅になってほしい。




塾は朝から晩まで開けてもいい。


休み無しでも構わない。



お金は必要ない。だけど覚悟はいる。


これまでの自分に囚われず、絶対に出来る。いや、やるって思いを持ってほしい。


ここからが正念場だな。。。


それではこの辺で。
教銘舎の太田です。こんにちは。



先日の北國模試ですが、嬉しい結果が飛び込んできました。



4289人中……


4289人中………


1位!!

(縦になってしまい、すいません。。)
数学の偏差値86.1
当然100点!!
感無量ですなぁ。
あ、それだけです。
ごきげんよう(上機嫌)




 

教銘舎の太田です。こんにちは。

 

 

昨夜は2210分から進路についてのお話をするための三者面談を行ったのだが、

塾での面談が終わりかけた頃、保護者の方が仰った。

『これから学校に行かなければならないのです。』

その理由をお尋ねすると、驚くべきことが分かった。




 

 

生徒は高専受験を志望したのだが、一旦断られたそうだ。


どのような生徒かと言うと、、、


入塾前には500点中200点台で、

成績連絡表も学校に出していなかったらしく、空欄があった
()

 
 

塾に入ってからは成績連絡表も出すようになったし、

 

点数もうなぎ昇りで、直近の実力では150(200点中)に届こうかという勢いだ。
(砺波高校の合格ラインが約150)

 


だが内申は相当ヒドイ。(はずだ)

 


当塾に入塾したのが中3の夏なので、

2と中31学期は進学校に進もうという生徒の中では最低レベルではないだろうか。

 

 

話を戻そう。

 

 

一旦断られたらしいが、学校長が彼の頑張りをみて

 

『受けさせてあげなさい。』と仰って下さったようで、急転直下の展開に。


 

その結果、塾での面談を終えたあと学校へ赴き、担任の先生と面談+願書を書くことに。

 

 

保護者の方が塾を出られたのが2230分過ぎだったので、

学校に到着されるのは
23時頃だろう。

 


学校の先生は私たち塾の講師と違って、

朝の早くから勤務しておられるのに、
23時から面談、願書作成とは。。


 

沢山の生徒を抱え、長時間の勤務。


それでも生徒のために動いて下さることに、


本当に感謝しています。

 

 

受験が落ち着いたらお礼に伺おうかと思っている。

(実は昨年の生徒もお世話になった先生なのだw)

 

 

頑張っていたら、良いことがあった!

 

それではこの辺で。

募集要項


職種 そろばん塾講師
年齢 40代まで
性別 女性(幼児・児童を対象としているため)
資格 珠算2級以上
時給 1000円〜1500円(研修期間あり)
※初回勤務より50時間を研修期間とし、その間の時給は900円となります。
待遇 交通費は1日500円を限度とし、実費をお支払い致します。
雇用形態 パート・アルバイト
雇用期間 1年以上働いて下さる方
就業時間 15:00〜18:00
労働日数 週2回〜4回程度(平日のみ)
勤務地 高岡市清水町・高岡市内・砺波駅周辺
(勤務地の希望はご相談下さい)

その他ご不明な点がございましたら、何なりとご質問下さい。


応募は下記のメールアドレスかお電話にて承ります。
『そろばん塾の講師の件で』と仰って頂くと助かります。

info○koumeisha.net(○部分を@に変えて送信して下さい)
0766-28-1137(9時〜21時)
 
教銘舎の太田です。こんにちは。


当塾には200点から400点に上がった生徒が多く在籍している。

その一方点数が上がらない生徒がいることも確かだ。


このようなことを書くべきではないのだろうが、

生徒全員の成績が上がっている塾なんて世の中に存在しないのではないかと思う。



当塾では点数のことで生徒を責めることはない。

だが、そこに至る経緯に関してはクドクドと煩いことを言う。


なぜなら、出来る生徒というのは上がるべくして点数を上げているし、

出来ない生徒は、下げるべくして点数を下げているように映るからだ。



本当に点数を上げたいと願っている生徒が、宿題をしてこないだろうか。

本当に点数を上げたいと願っている生徒が、宿題を誤魔化すだろうか。

本当に点数を上げたいと願っている生徒が、塾で居眠りをするのだろうか。

本当に点数を上げたいと願っている生徒が、他の生徒より遅く出席するのだろうか。

本当に点数を上げたいと願っている生徒が、分からないところを赤で直して、そのままにするだろうか。

本当に点数を上げたいと願っている生徒が、忘れ物をするのだろうか。


クドイ(笑)


それと同じように、本当に点数を上げたいと思っている生徒は、


宿題をきちんとしてくるし

分からない問題は徹底的に調べ、

塾で居眠りをすることはなく

他人より早く出席して

忘れ物をすることもない。


これだけのことではないのだが、出来る生徒は出来るようになることを望んでいるように見えるし

出来ない生徒は、もっと出来ないようになることを望んでいるようにみえる。



………


話は少し変わるが、


先日平日の宿題を出した時のこと。


私:『宿題、何時間位できる?』

1位の生徒:『……4時間くらいです。』

私:『4時間ね。分かったよ。』



私:『何時間位宿題できる?』

他の生徒:『6時間くらいします。』

私:『そう。。分かったよ。』



この会話だけを聞くと、1位の生徒はあまり努力をしていないように映るかもしれないが


それは違う。


1位の生徒が言う4時間とは最低限の時間であり、


それ以上勉強が出来るのであれば7時間でも8時間でも勉強をするつもりがあるのだ。


それ以外の生徒が言う6時間とは最大限の時間であり、未来の自分に期待している数字でもあるのだ。



学習してきた内容をみると、いつも出来る生徒の方が多く、出来ない生徒は言い訳が多い。



毎日のこうした積み重ねで加速度的に差がついていく。



出来ない生徒は努力をしていないか?と言えば、当塾の生徒に関してはそうとも言えない。


では成績が思うように上がらないのはなぜか?


彼等の持つ網は目が粗いのだ。


何度掬っても、知識という獲物はすり透けていってしまう。

目が粗いから、公式などの大きな獲物は捕獲することが出来ても

細かいところが抜けていってしまう。



出来る生徒のもつ網の目は非常に細かい。

一掬いすれば、必要な獲物は殆ど捕獲することが出来る。


つまり、同じ時間、同じように努力をしていたとしても

脳に蓄積される知識の量には相当な差がある。


では網の目の大きさは何によって変わるのかというと、

勿論普段の勉強が一番大きな要因になるのだろうが、

私には読書もその一翼を担っているような気がする。



それは国語力という言葉に代表される様々な力だ。


なによりも、国語という教科を通して多くの文章を読んでいる子は強いと思う。


つまりは読書量になるのだが。(正しく読んでいるという前提で)

子どもたちの生きる世界は非常に狭い。


たとえ世界をみて回ったとしても、その全てをみることが出来る訳もなく、


さらに言うと、現世のことは見ることが出来ても

過去に行って、体験することは出来ない。


だが読書をすることが出来ると、

本を通して世界をみて回ることもできれば

過去のことを詳しく知ることも出来る。

そうして得た知識をもって一つの事象をそれだけで完結させず、

現在自分が知りえる知識と繋げて応用していく。

まとまらないが、そんなイメージだ。

あ、網の目が細かくなっていくイメージ(文章力がないもので)


当塾の出来る生徒をみていると、その直向な努力に頭が下がる思いがする。

当塾の出来ない生徒をみていると、そのけなげな努力に大丈夫だよ。と頭を撫でてやりたくなる。


受験が差し迫っているので、自身の点数に一喜一憂することもあるだろうが

高校受験はホップステップジャンプのホップ部分。
(確かにここで躓くと非常に辛いのだが)

だけど、大事なのはここで上手くいってもそうじゃなくとも、

諦めず、腐らずに前を見据えて歩みを止めないことだ。


こんなこと、受験前後には言えないので今の内に言っておこうと思う。



私は口では、受験は結果だと言うことが多い。

それは生徒が必死に取り組んだ結果から逃げたくないからだ。

私は結果を受け止めるが、生徒にまでそれを望まない。



結果は大事だ。だけど一番大事なのは結果ではなく過程だ。


それは勉強を通して何を学んだのか、得たのか?ということにもなる。


超えられないと思うような壁に挑む心を養ったのなら、それで良い。

怠けたい、遊びたいという気持ちを抑えて努力を継続する力を得たのなら、それで良い。

周りの雑音にも負けず目の前にある問題に取り組む集中力を得たのなら、それで良い。


まだまだ勉強を通して学ぶことは沢山ある。


今悩んでいることだって、苦しんでいることだって、充分有益な経験だ。

闇があるから光があることに気がつくように、

人は苦しみの中でしか成長できない。

だから本気で迷い、苦しむしかない。本気でやった先にしか光はないのだから。



明るい未来を手に入れるために、今日も粛々と為すべきことを。


それではこの辺で。

教銘舎の太田です。こんにちは。

 

 

 

テスト期間ではない時期の土日開講は完全無料で行っている。

 

例外があるとすれば、平日休んだ生徒が振替として出席する場合には

 

土日出席するときくらいだろう。

 

(土日が開講していなければ平日に振替をすることになる)

 

 

 

では、何故土日を開講するのかと言えば

 

生徒にとって必要だと考えるからであり、生徒自身が望むからだ。

 

 

土日の出席は完全に生徒の自己申告に任せている。

 

白紙を生徒に渡し、自身が出席できる時間帯を記入する。

 

 

提出された時間帯の中で、最大公約数的な考え方で開講時間を決める。

 

 

いつもギリギリまで開講日程が決まらないのは、

 

部活をしている生徒の予定がギリギリまで分からないからだ。

 

 

送迎やお弁当の準備があるので、保護者の方に対して

 

申し訳のないことをしていると常々胸を痛めている。

 

 

そのように塾や保護者の方が整えて下さった環境の中にあっても

 

 

一生懸命になれない生徒がいるのは何故なのだろう。

 

眠ってしまうのは何故なのだろう。

 

 

そういった生徒はその場で帰宅させても、退塾させても良いくらいのことだが

 

ここで受験生をほっぽり出すのはあまりに無責任なことなので

 

我慢に我慢を重ねている。

 

 

私が我慢することが、彼等のためになるのかが未だ分からない。

 

 

ここでビシッと線引きをする必要があるとは思うのだが、

 

厄介なのは彼等に悪気がないことだ。

 

 

悪意あってのことなら𠮟ることで改善させることも容易いが、

 

一生懸命にやろうと思ってはいるけれど、身体がついてこない生徒に対して

 

一体どこまでやっていいのかが分からない。

 

 

これが中1や中2ならまだいいのだが、中3となると。本当、、、

 

本当に難しい。

 

 

ただ、、

 

ダラダラやっているのは生徒のためにならない。

 

 

それに私自身の時間も勿体無い。

 

金沢の生徒や、他にも一生懸命に努力をしたいと願い、

 

私の指導を待っている生徒がいるのだから

 

そういった生徒に全力を尽くしたいと思ってしまう。


生徒たちに伝えたい。

 

3の今は今しかない瞬間なんだ。

 

瞬間瞬間を必死に生きようとするから、人は輝くことが出来る。

 

今日怠けた生徒は明日も明後日も怠けるだろう。

 

そして最初はほんの少しの差だったものが、気がつけば埋めようのない差となって

 

未来の自分に襲い掛かることだろう。

 

 

そこで後悔しても遅いと分かっているから、先を生きる私は生徒に伝えている。

 

 

駄目だよ、駄目駄目。そのままでは崖から落ちてしまう。

 

 

ねえ、止まって、止まって。今からでも遅くないからやり直そうよ。

 

声が枯れそうになる位、繰り返し伝えているつもりだが中々分かってもらえないものだ。

 

 

それではこの辺で。

教銘舎の太田です。こんにちは。

 

 

先日階段にチョコレートの包み紙が落ちていた。

 

私はそれを拾い、一番目立つであろう階段の手すりに乗せておいた。

 

 

40名以上の生徒がそこを1回ないし2回は通るわけだから

 

誰か一人位は気がついて、捨ててくれるかと期待して。

 

 

 

普段は生徒と一緒に教室を出ることが殆どだが、

 

その日はあえて生徒が全員教室を出るまで待った。

 

教室を出て、鍵を閉め、階段を降りる。

 

 

何だか無駄に緊張する。

 

きっと生徒が気付いて、捨ててくれているだろう。

 

というか、気付かないというのは殆どありえないような場所に置いた。

 

 

普段から落ちているゴミを拾える人になってほしいと伝えている。

 

 

きっと、きっと。。

 

祈るような気持ちで一段一段降りていく。

 

 

ああ。

 

 

残っている。

 

 

残念だったなあ。

 

 

まだまだ私の教育が行き届いていないということが分かった。

 

 

自分が捨てた訳じゃないとか、気がつかなかったとか関係無い。

 

 

自分の後始末を自分ですることは当然のことだし

 

気がつかないというのは、気を張っていないということ。

 

 

 

子どもたちには他人のために動ける、働けるような人になってほしい。

 

 

塾で教えることは、その為の勉強であり練習なのだから。

 

 

 

それではこの辺で。

教銘舎の太田です。こんにちは。

 

 

 

一昨日は22時に授業が終わってから石川県の塾長仲間と新年会だった。

 

(ここまでは前日と同じ)

 

 

 

塾長同士の集まりで、最初気になったのが

 

お互いがお互いを誉めあうということだった。(石川県のことではありませんゾ)

 

 

○○先生、スゴイですね。流石デス。という感じで

 

どこぞの太鼓もちが集団でやってきたのかと思ってしまう程だった。

 

 

 

私自身はというと、勿論誉められるのは嬉しいが

 

そんなに誉められることをしていないということに加え、

 

表面をなぞるように誉めるのは苦手で、誉めてくださるのなら

 

その中身や心情までを考慮して誉めてもらえると

 

もっともっと嬉しいという面倒な男なのだ。

 

 

 

ぶっちゃけた話、塾の講師をしていると誉められることが多く、

 

非難中傷されることや誰かに頭を下げることが非常に少ないので

 

天狗になりやすいという土壌にある。

 

そのような理由から

 

井の中の蛙のように狭い世界でしか物事を捉えられなくなることに怯えている。

 

 

(自身の心を吐露すると、

 

仕事以外のことについては狭い世界で生きることが嫌な訳ではなく

 

むしろ望ましいと思っている位だがw)

 

 

(話をそっと戻して)

 

 

そういったこともあり、私は塾の見学に伺った際や

 

塾の見学にいらした際、一昨日のように塾長同士が集まる場にあっても

 

相手のためになると思ったことは出来るだけお伝えするようにしている。

 

勿論、良いことも悪いことも。

 

 

 

それは苦言を呈するという感じではなく、

 

 

第三者の目からみるとこういった風に見えますよ。というニュアンスでお伝えすることが多い。

 

 

逆に私自身の悪いところを教えてくださる場合は、真摯な姿勢で拝聴する。

 

 

自分可愛さで、仰って頂いていることに対して、

 

実はこういった理由がありまして。。とか、

 

そのようにせざるを得なかった理由は… などと言い訳をしたい衝動に駆られるが

 

出来得るだけ相手が話し終えてから、実はこういった面もあるのですが

 

どのようにお考えになられますか?とお伺いするようにしている。

 

 

このブログに関してもいくつかご意見を頂いているので紹介しようと思う。

 

 

1:批判的な内容が多い。

 

2:山本や喜田のことを自分より下に扱っていおり、他教室を任せているのであれば

 

山本と書くよりも、山本先生と敬称で行うべきだ。

 

3:よく食べますね()

 

4:子どもたちに対する愛情が感じられる。

 

5:毎日書いていることがスゴイ。文字数が多い。

 

 

最近お伺いしたものだけだが。。。

 

 

一つ一つ自分なりに考え、

 

今後の方針を決めているし、ふとした時にそういったご意見が頭をよぎることがよくある。

 

 

このような良い関係を続けていけるように、自身も努力を続けていかなければならないと思う。

 

 

それでは。  


ちなみに今回のタイトルなんですが、本文とは関係ありません。


自分自身は井の中の蛙にならぬように。と思っていますが

冷静に考えると、カエルって海で生きられないじゃんwwということになったのです。


あまりに安直で愚かなタイトルでお恥ずかしいです。


でも確かにって思ったあなた、仲良くなれますよ(笑)


それでは。