教銘舎の太田です。こんにちは。
人生はシンプルな方が良い。
例えばお金が欲しいなら一生懸命働けばいいし、
身体を使う仕事が嫌なら必死に勉強するなり、アイデアを絞りだせばいいだけだ。
体力が必要なら歩くことから始めればいいし、
筋肉を付けたいのであれば軽い筋トレを毎日の習慣にすればいいだけのことだ。
ポケモンが欲しいなら出歩けばいいし、本が欲しいなら本屋に行けばいい。
自分が欲しいものや必要なものに対して、
どのようにアプローチすれば良いかなんて誰だって分かるものだ。
でも勉強に関してはそうはいかないらしい。
例えば。。。
部活の朝練をして、部活をして、夜練までやって○○高校に行きたい。という子がいたとする。
その子の成績は中の下だ。
でも同じ部活の○○先輩は、自分と同じ生活スタイルで○○高校に入った。
だから自分も部活をしながらでも何とかなるはずだ。
例えば。。。
サッカーの練習が毎日あって、でも練習後の勉強は体力的に難しい。
だけど、是非とも附属中学に行かせてあげたい。
『何故附属中に行かせてあげたいのでしょう?』
子どもが行きたいと行っているので。
『では土日位は試合をお休みしてでも塾にいらっしゃることは?』
試合に出るために毎日練習しているのに、そんな可哀想なことは…
例えば。。
現在は小4だけど、小2のことから分かりません。
小2のことを取り返すためにかかる時間、
小2が出来れば次は小3、小3が終わって小4に入ると仮定すると、
小2小3に時間をかければかける程小4の勉強で更に遅れることはご理解戴けますか。
ですから小2、小3の復習は早々に行うべきなのです。
そうしないと雪だるま式に出来ない、分からないところが膨れ上がっていきますよ。
『でも未だ小学生なので〜』
いや、ですから。小学生の間にこそ取り戻しておかないといけないことではありあませんか?
こんな事例は自塾だけではなく、他の塾さんでも山のようにあることだろう。
決して保護者さんのことを攻撃しようとか、愚痴を書こうと思っている訳ではない。
だが、こと勉強になると、多くの人は真っ直ぐな道を歩めないらしいということが分かった。
人は能力の個体差がかなりある生物(セイブツ)だ。
だからこそ少しの努力で沢山のものを得られる子もいれば、かなり努力しても少しのものしか得られない子もいる。
その個体差を『勉強の仕方』の差だと勘違いして、楽に勉強が出来るようになる方法を探してはいけない。
学問に王道なし。
例え王様であろうとも地道な努力をせずして、学問を修めることは出来ないという意味だ。
そもそも勉強の仕方なんていうモノは、
自分で必死に勉強していく中で効率的な方法を模索していくものだ。
書いても書いても覚えられないから、何度も音読を繰り返す勉強方法や
語呂合わせで覚える方法に変えたり、暗算をするとケアレスミスが頻発すると分かったから、
どんなに簡単な問題でも筆算するようにしたり。というように、それは確かに勉強方法かもしれないが、
小さな工夫の積み重ねだと言えることも出来るだろう。
泥臭くてもいい、人から馬鹿にされたっていいじゃないか。
地道に努力するしかない。
努力を重ねていく中で、自分なりの形を作っていけばいいのだ。
その姿は本当に美しい。
疾風に勁草を知る。最近生徒を見ていてよく浮かんでくる言葉。
それでは。