教銘舎の太田です。こんにちは。

 

 

車の調子が悪かったことと、タイヤ交換をする為に修理工場へ電話。

 

 

 

車検で繁忙期ということで、代車の用意が難しいかもしれません。と申し訳無さそうに仰る担当者。

 

 

 

それでも軽四で宜しければ何とかします。と仰って頂いたのだが、

 

申し訳ないので仕事が終わってから2台で修理工場へ行って車だけ置いてくることに。

 

 

 

当然取りに行く時も2台で行った。

 

 

 

 

 

翌々日、山奥まで蕎麦を食べに行き、

 

田舎のおばあの作った草餅とおこわを母の土産に買ったので、実家迄持っていった。

 

 

 

ん? 車が違う。。

 

 

 

話を聞くと、母の体調を気遣って(母は昨年3度入退院を繰り返した)

 

修理工場の担当者(私が車の修理をお願いしている会社で、同じ担当の方)

 

自宅まで車を取りにきて下さったとのこと。

 

 

 

当然担当の方は2度往復しなければならない。

 

 

 

2度往復? 俺も最近やったよね(笑)

 

 

 

こちらの担当の方は本当に良い方で、

 

本来取り扱いしていない船のエンジンも整備して下さり

 

取りに伺いますというのに塾まで持ってきて下さった。

 

 

 

まだ全快していない母によくして下さり、本当に感謝している。

 

 

 

自分も人と接する時に彼のようにありたいと思う。

 

 

 

 

私たちの仕事は年齢がいくつであっても先生先生と呼ばれ、勘違いしてしまいがちだ。

 

 

 

人は心から尊敬の念を抱けば自然に頭が下がるし、

 

その人の為に動きたい、動こうと思うものだと思う。

 

 

 

自分がお客さんだからとか、

 

相手が自分より立場が弱いからといって傲慢に振舞っていてはいけない。

 

 

 

相手には自分がして欲しいことをして、それでいて見返りを求めない。

 

自分が嫌だと感じることをされたとしても意趣返しのようなことをしてはいけない。

 

 

 

相手には私には分からない事情があるのかもしれないし、

 

自分が知らない間に相手に不快感を与えていたのかもしれない。

 

 

 

人生の中で出逢える人というのは限られている。

 

奇跡に近い確率で出逢えた人たちを大切にしていこうと思う。

 

 

 

あ、でも宿題をしてこなかったら、その子の為に叱りますぜ。

 

 

 

別に怒っている訳ではないので、そこのところヨロシク。

 

 

 

 

それでは。

教銘舎の太田です。こんにちは。

 

 

 

恥ずかしながら宿題の丸付けが終わらず自宅に持ち帰って行った。

 

 

 

体験入塾中の生徒が解いたものをみて、『この子は伸びるな。』と感じた。

 

 

 

その教材は最初に解説があり、その解説にはなぞる箇所がある。

 

 

 

教材の最初には使い方というものが載っており、その箇所をなぞるように指示されているのだが、

 

多くの生徒は冒頭の説明を読んでいないのか、はたまた面倒くさいからかなぞっていないことが多い。

 

 

 

他人の指示を聞いた気になって自分なりのやり方で行い、自分なりの間違い方をして、

 

自分なりに直して勉強をしたつもりになっている生徒が多い。

 

 

 

折角塾に来ているのであれば、師事している人の指示を聴かなければ意味がない。

 

 

 

 

入塾当初は成績が落ちることがある。

 

それは頑迷に自分なりのやり方を押し通そうとする生徒を、

 

きちんと指示が聴ける生徒に変える為にかかる代償であり、

 

それなくして学力や姿勢の向上は有り得ない。

 

 

 

その為にも生徒を見て、診て、魅せることが必要なのだ。

 

 

 

それでは。

教銘舎の太田です。こんにちは。

 

 

 

入塾したばかりの生徒は私が近づくと、『ここが分かりません。』と言ってくることが多い。

 

 

 

 

入塾したばかりということを考慮して、そのように言われれば指導するのだが、

 

本来は『ここが分からないので教えて下さい。』と言うべきだと考えている。

 

 

 

 

子どもが『喉が渇いた〜』と言っとして、直ぐに飲み物を与えてはいけない。

 

 

 

『喉が渇いたから、飲み物を下さい。』と言われ、

 

その子が自分で用意が出来ないのであれば大人が動いてあげるべきだ。

 

 

 

そこで終わりにするのではなく、

 

次からは自分で飲み物を用意できるよう方法を教えてあげることと、その環境を整えてあげなくてはいけない。

 

 

 

塾での学習と日々の生活は繋がっている。

 

 

 

彼等が解いているのは実生活で起こり得る問題を教科化したものであり、

 

その問題への取り組み方や姿勢は実生活にも反映されていく。

 

 

 

そして小さい頃についた悪い癖というのは抜けにくいものだ。

 

 

つまり幼い間に良い学習を習慣化しておくことが大切になる。

 

 

 

一つ一つは小さなことであっても、その行動の積み重ねが未来に繋がることを忘れてはいけない。

 

 

子どもは良い意味でも悪い意味でも学習していくものだから。

 


教銘舎の太田です。こんにちは。
 
 
 
 
『●●高校位は行きたいな。』なんて言われると、
 
現在の点数と『くらい』と言われたその高校への乖離を理解できないのか?と感じてしまう。
 
 
あ、、いや。キツイことを書きたい訳ではないのだけれど、、、
 
 
 
自分を見つめてみて、なんで俺はこんなことが気に障るのか?と考えた結果、
 
 
 
今まで見てきた生徒や、今正にその場で努力している生徒が居るからだという結論に至った。
 
 
 
何処かの誰かに『くらい』と言われた学校に合格する為
 
必死で学習に励んだ生徒を思い出し、
 
 
『●●点位はとってほしい。』と軽く言われる点数を取る為には、
 
前々々学年からの復習が必要なんだな。。と分かってしまうからだ。
 
 
 
 
日々学習を重ねてきた子たちには良い人生を歩んで欲しいと切に願う。
 
 
 
アリとキリギリスではないが、努力をしなかった者たちの末路は誰の目にも明らかだ。
 
 
ただ悲しいことに現代の平和な国日本では、皆がそれなりに幸せそうに映る。
 
 
 
知る幸せと知らない幸せ。
 
 
 
幸せの定義は自分で決めるしかない。
 
 
 
ジャンクフードと呼ばれる食事を家族で摂ることが幸せと感じることが出来ることは、確かに幸せなことなのかもしれない。
 
その一方生産者が分かる食材や自分で作ったり獲ってきた食材を使い、
自宅で料って家族で食べる食事を幸せと感じることもまた幸せだろう。
 
奮発して外食することが幸せだと感じる人もいるだろう。
 
 
 
努力をしなかった者は努力をした者が幸せだと感じないことを幸せと信じて生きていけばよいと思う。
 
 
 
気付かずに。
 
 
 
それでは。

教銘舎の太田です。こんにちは。

 

 

学校へ行く高校生が織り成す自転車の群れは船の下を泳ぐ青魚のよう。

 

糸を縫うように右へ左とくねくね。

 

 

その中に紛れて桜に会いにゆくために自転車で駆ける。

 

 

 

高岡古城公園は市民に愛される憩いの場。

 

 

公園内にある越中一ノ宮である射水神社にお礼参り。

 

 

 

 

 

 

 

思えば毎年この公園で桜を愛でている。

 

 

 

 

 

昨日の朝つぼみであった桜は昼過ぎには満開になっていた。

 

たった半日でこんなにも美しく咲き誇れるものか。

 

 

繁栄を極めたソロモンでさえこんなに美しく着飾ってはいなかっただろう。

 

 

 

春の風が吹き荒れる中、足元には散ったのではなく落ちた花があった。

 

 

 

 

 

桜は舞い散る時が一番美しいと感じるが、その時を待たずして落ちた花をみて思うことがあった。

 

 

 

帰り道、空いた道を我武者羅に自転車を漕ぐ学生を幾人か見かけた。

 

 

 

大丈夫だよ、遅刻したって。

 

 

でもその必死さは逆算や打算をもたない美しさなのだろう。

 

 

 

それでは。

 

 

 

 

 

教銘舎の太田です。こんにちは。

 

 

保護者の方と面談をしていると、

 

生徒が塾で私に見せている顔が自宅での素顔?と大きく違うことに驚くことが多い。

 

 

私にはとても真面目な生徒に映っていたのに、とてもユーモアに溢れていてお調子者だったり、

 

ちゃんと受け答えが出来ないなぁ。と感じていた子が大きな声でよく話す子だったりする。

 

 

 

ある保護者の方が仰った言葉を借りれば、

 

塾では仮面を被っているとか、塾に行くと違うスイッチがパチンと入るのだとか。

 

 

それはそうだろうなぁ。と思う。

 

 

子どもは家に居れば安心できるし、親に甘えるのもよくわかる。

 

だが一歩外に出れば集団登校の班長さんで、

 

下の子たちのお迎えに行かなければならなかったり、部活では先輩や後輩がいたりする。

 

 

その場その場で与えられた役目を遂行する為にはモードを変えなければならなくなる。

 

 

そういった点において、塾は学習をする場所であり、弱い自分と向き合い対峙する場所でもある。

 

 

その場所にあって自律をしてゆけるということはむしろ喜ばしいことだ。

 

 

そして子どもたちには帰るべきホームがある。

 

 

そこに帰れば自分を愛してくれる人が待っていてくれる。

 

 

 

 

だからこそ意思という糸で努力を紡いでゆくことができるのであろう。

 

 

 

保護者の方には当塾を、いや私を信頼して任せてほしい。

 

 

今は良い方向に進んでいないようにみえても、

 

生徒も私もどうすれば浮かび上がれるのか、もっと高く飛べるのかを模索している最中なのだ。

 

 

去年受験をした生徒で志望校を落とさず、

 

いやむしろ上げた生徒の保護者の方は皆最後まで子どもを、私を信頼して下さっていたように思う。

 

 

だからこそ学校では無理と言われた高校を受験することを許して下さったのであろうし、

 

点数が足りないだのどうだのと言わずに見守って下さった。

 

 

 

私は頑張れとか、頑張るという言葉をあまり使わない。

 

 

それは我を張る。つまり自分の意思を強く通そうとするという語源を知っていることと、

 

なんだかネガティブな印象を受けるからだ。

 

 

だから子どもたちには、努力を重ねなさいよ。とか、励みなさいよ。と言う。

 

 

 

人は自分が言ったことを実行してこそ信じてもらうことが出来る。

 

 

今年度も頑張らず、よく他人の意見を聴き、自分が正しいと思ったことを実行出来るように励もうと思う。

 

 

 

 

 

何の決意表明やねんw

 

 

 

それでは。

教銘舎の太田です。こんにちは。

 

 

 

遠足に行くと普段見えない生徒の姿に出会うことができる。

 

 

 

真面目そうなあの子が持ってきたのは……  DS??

 

 

3DSだかなんだか知らないが、なんせそんな感じのゲーム機。

 

 

ああ、大嫌いなタイプだ(笑)

 

 

 

後からその子に聞いたら、バス移動が長いので持ってきましたが、

 

普段はしません。と言い訳をしていたw

 

 

 

グループを作って調子に乗っている女子もいれば、

 

敢えて一人で席に座って音楽を聞いている子もいた。

 

 

言わなくともゴミを集める子もいれば、

 

ゴミを下に落として(流石に捨てていかないと信じたい)も気がつかない子もいて。。

 

 

 

指示を出した時返事をする子もいれば、頷くだけの子、無視する子。

 

 

 

ああ、まだまだだわ。君たち。

 

 

 

何年か前やはりUSJに行った時、帰り道の運転をする私を気遣って

 

助手席に座りずっと話をしていてくれた子がいた。

 

 

 

もう大学2年生になったが、今でも休みの度に帰ってきては遊びに来てくれる。

 

 

学校の教師と話をしていると、出来る生徒よりも手のかかった生徒の方が記憶に残ると言われることが多いが、

 

私の記憶に残るのは良き隣人であった生徒だ。

 

 

 

雨の日も雪の日も電車で通学して、

 

高岡駅から歩いてきていた子は今年幼稚園教諭、

 

保育士の免状がとれる学校へ進学することになったと挨拶に来てくれた。

 

 

 

13時間/1日の勉強に疲れて、

 

『もう限界ですけど、やります。』と言った子からの訪問要請ラインは無視してしまった。(ごめん)

 

 

 

昨年度の受験生にも良き隣人となった子がいた。

 

 

で、何が言いたいかって??

 

 

そうそう、忘れていた。

 

 

子どもたちには愛される人になってほしい。

 

愛されたい人ではなく愛される人に。

 

愛される人は愛す人だ。

 

他者を慈しむ人。

 

 

 

その為には想像力がなくてはいけない。

 

人が想像出来ることは創造出来るものだ。

 

 

今の君たちを無条件に愛してくれるのは家族だけだ。

 

そんな言葉で彼らに語りかけようかとも思ったが、折角の遠足。

 

 

無粋だと思って止めた。

 

 

 

愚痴っぽくなってしまった。

 

 

それでは。

教銘舎の太田です。こんにちは。

 

 

 

高岡教室で一般募集を開始してからというもの

 

高岡、砺波、高岡南、福岡、大門で不合格となった生徒はただ一人。

 

 

その一人も国立高専に合格していたからこそ高岡を受験した生徒だった。

 

 

 

自慢かPRか?

 

 

否。

 

 

以前から疑問に感じながら見て見ぬ振りをしてきたことがある。

 

 

進学校と言われる高校に格に合わない生徒を合格させる事は罪深いことなのではないだろうかということだ。

 

 

 

それは高校継続をしなかった生徒の進学先や高校での様子を聞いていて感じるようになった。

 

 

 

当塾は進学実績を売りにしていない。

 

 

生徒が努力をして入った高校であれば、どこであろうとも素晴らしいことだと心から思う。

 

だがしかし、折角合格した学校で努力を継続できないことは悲しいことだとも感じる。

 

 

 

当塾の門を叩かれる方の中には、進学校への合格を目標にされておられる場合が多い。

 

 

 

正しておこうと思うが、進学校へ行くことが悪いのではない。

 

進学校へ合格することだけが勉強の目的となるのはいけないと言っているのだ。

 

 

 

 

私としても、可愛い生徒や当塾を信頼して下さる保護者の方が切に願うのであれば、

 

出来るだけのお手伝いはしたいと考えてしまう。

 

 

 

しかし、格に合わない高校に何とか合格したとしても、そこで塾を辞めてしまっては元の木阿弥。

 

 

これまたお伝えしておくが、当塾の経営上高校継続は大きな問題ではない。

平たく言えば商売の為に高校継続してほしい!と言っている訳ではない。

 

 

 

そんな悩みを抱えている中、嬉しいことがあった。

 

 

 

小学校3年生から当塾に通っている生徒。

 

 

その生徒は中学受験を視野に入れて入塾した。

 

 

 

少しばかり離れた地域から毎週欠かさず2年間通塾し、いよいよ6年生になろうとしていた。

 

 

その生徒の保護者様と面談をした際、思わぬ方向に話しが展開していったのだ。

 

 

いよいよ6年生ですね!中学受験の準備は着々と進んでおりま…

 

 

それが〜

 

 

ん?どうされました??

 

 

もし合格したとしても行かないというのはどうでしょうか?

 

 

ん???

 

 

合格しても行かない??

 

 

 

詳しくお話を伺うと、、、

 

 

生徒には夢があり、彼女はいつもその夢へ辿り着く為に最短の道を模索してるとのこと。

 

 

当初志望していた中学へ行くことが、夢への階段を一段上がることだったのだが、

 

中学受験をして遠方に通うより、塾の近くの中学校へ越境入学をし、

 

出来るだけ塾に通うことが良いと考えるようになったそうだ。

 

 

 

小3から通っていたので中学受験の準備は出来ている。

 

中学生よりも難しい問題を小学生の解き方で教えているし、

 

国語の問題を通して様々な文章に触れてきた。

 

 

その中で知識を得て、気になったことがあれば調べ、

 

自分なりにノートにまとめていくことも行っており、よい学習を積み重ねてきている。

 

 

 

確かに受験して遠方の中学に通うのは通学に時間をとられるし、

 

肉体的にも大変かもしれないが、そこで出会える仲間は地元中学に通うよりも面白い子が多いだろう。

 

 

だがそういった子とは高校で行って出会うことも出来る。

 

 

 

生徒の性格や今後の4年間を考えた。

 

 

生徒や保護者の方に信頼を頂いていることは嬉しい。

 

可愛い生徒だから手元に置いておきたいというエゴもある。

 

中学受験をすること、地元中学校に通って当塾に長時間通うことの

 

良い点、悪い点をよくよく考えて、感じたことを正直にお伝えした。

 

 

 

その結果どうするかは未だ決めなくてもよい。

 

 

 

中学受験をするしないに関わらず生徒と私は楽しみながら問題に取り組んでいく。

 

 

その先に何が見えるか、何をみるか。

 

 

………

 

 

書いていて整理できてきた。

 

 

今ほど書いた小学生の生徒だって、最初は受験の為に塾に通っていたのだ。

 

 

勉強を進めていくなかで、知識や智慧を練ることの楽しさに目覚めたのだと思う。

 

 

この子は小学校からの入塾で、

 

時間的、精神的な余裕があったのでこのような形に成長していくことが出来たのだろう。

 

保護者の方が陰日向となり支えて下さったことも忘れてはいけない。

 

 

 

かといって中学校から入塾したいという生徒を断る訳にもいかない。

 

 

 

これが今後の課題だ。

 

 

中学校から入塾した生徒を点取り虫にさせない。

 

受験で疲弊させない。自分をみつめ自分を磨く努力を促す。

 

そして自分の意思で、自分の力で学習を進めていけるようにする。

 

一生学べる人になる為の素養を身につける塾。

 

 

 

上記のことを行う時、一番最初に出てくる問題は保護者の方の理解を得られにくいということだろう。

 

 

 

毎日塾に通って下さい。と言えば引かれるかもしれない。

 

点数が落ちれば『塾に行っているのに。』と思われるだろうし、

 

学校の勉強以外のことをしていれば、『あんな点数で。。』とお感じになるかもしれない。

 

 

 

そうか、別枠でコースを設けるのもよいかもしれない。

 

受験を超越したコース。

 

 

もうちょっと練ってみよう。

 

 

今日はこの辺で。

教銘舎の太田です。こんにちは。

 

 

卒塾生から相談を受けた。

 

 

大学で資格の講座をとりたいが、その講座を受講する為には費用がかかる。

 

 

親には負担をかけているから、そうした講座の費用は自分で払いたい。

 

 

だがアルバイトと大学生活を両立できるかは不安だと。

 

 

 

どうするべきか?

 

 

 

自分だったらアルバイトを掛け持ちして、講座もとって、

 

大学生活も楽しむところだが、その生徒の個性を考えるとそれは難しそうだ。

 

 

 

私が伝えたことは。

 

引用開始

 

 

うーん、それは正論だけどね。

 

 

正論だけど正しくない。

 

親御さんが望んでいることは、お金がかからない生活ではなくて、○○が今の生活に慣れること。

 

 

ちゃんとご飯を食べて、ちゃんと学校に行って、ちゃんと楽しむことだよね。

 

その為にある程度の負担は覚悟しているだろうし、きっと○○が小さい頃から準備してきているよ。

 

 

親に頼るのも親孝行ってこともある。

 

 

だから講座はとって、バイトはもうちょっと余裕が出来てからでもいいんじゃないかな?

 

 

 

引用終了


 

 

学生の頃は自分の為に学べばいい。

 

 

そして学んだことを活かして自分の為に働くこと。

 

 

そうすれば他者の為に学ぶことが必要となる。

 

 

その学んだことを活かして他者の為に働く

 

 

そうした営みを繰り返し、学んだことを次の世代に伝える。

 

 

 

学生の間は自分の為に学べばいいと思う。

 

 

優しいことは良いことだが、他者に対する優しさが他者の為になるとも自分の為になるとも限らない。

 

 

時に厳しくすることも優しさだろうし、甘えることが必要な時だってある。

 

 

そうした選択に正解なんてないけれど、

 

ちょっと立ち止まって俯瞰してみて、人に相談してみることはとても良いことだ。

 

 

 

生徒はいくつになっても生徒。

 

いつでも会いに来てとか、いつでも連絡して欲しいなんて言わない。

 

 

頭を上げて塾の扉を叩けるように生きてほしい。

 

 

 

それでは。